見出し画像

【#235】向かい風(メッセージの断片集75)

4月14日(日)の様子

 この日は妻が紋別の教会に礼拝奉仕に行っていたので、北見では私が奏楽をしながらの司会もしました。本当はAさんに奏楽をお願いしたかったのですが、この日は参観日ということで、礼拝開始には間に合いませんでした。それでもY君がギター奏楽、そしてEさんがソングアシスタントをしてくれたので、元気よく賛美を歌うことができました。

 先月からその月の誕生者が、どのようにして教会に導かれて主イエスを救い主と信じ、そしてどのような歩みをされているのかを証ししてもらっています。以前、教会の皆さんからも「皆さんの救いの証しを聞きたい。知りたい」という声があり、それに応えたプログラムでもあります。この日はTさんが、とても真実に、誠実に、飾ることなく率直に証しを語られました。私の出身教会でも行っていたことですが、自分の誕生月にキリストに出会ったこと、救いの道を歩んでいることを分かち合えるというのは、大きな意味がありますね。

 午後からは、二時から始まる虹の会(三浦綾子読書会)で、『氷点』を読みました。この日からY君も一緒に加わり、人の心の機微、どうしてそうなってしまうのか、そして自分はどうなのかということを、皆さんで分かち合うことができました。(以下は礼拝メッセージの断片集です)

▲ 画像をクリックすると、メッセージのエッセンスを250字で読むことができます。

助け手が与えられる

 ルカ、アリスタルコ、そして百人隊長ユリアスと、パウロが主の御心に立って行動していく時に、パウロを支える助け手を主なる神が備えてくださいました。偉大な伝道者パウロにも、チーム・パウロのような助け手がいたということです。主の御心に立ち、福音を証ししていこうとする時、1人では進んでいきません。一緒に祈り合い、励まし合い、助け合っていく兄姉が必要なのです。そして百人隊長のように、「まさかこの方が」と思うような助け手すらも起こされていきます。

 さらに私たちも誰かの助け手になれるのです。いや。誰かの助け手になっていきたいのです。ルカのような特別な賜物がなくても、アリスタルコのようにそばにいて、小さなことを心合わせていきたいのです。

▲ 関門海峡

向かい風がある

 パウロが前進しようとする時、向かい風が起こり、行く手を阻みました。私たちは、物事がうまく進んでいかない場合、「これは主が道を閉ざされている」と判断することがあります。そういう場合もあります。一方、試練や試み、向かい風が起こっても、それでも主の御心だと信じ、そういう中で主なる神は信仰を養い、成長させてくださるのも事実です。

 では、向かい風が吹く時、これは主の御心ではないと判断する時と、向かい風が吹いてきたけれど、主の御心と信じて前進する時と、どのようにして見分けることができるのでしょうか。それは祈りと御言葉以外にありません。主の御心は、主と交わる祈り、主の御心である御言葉と聖霊によって知ることができます。そして殆どの場合、私たちの思いと主の御心は異なるのです。

 この日の礼拝の扉画像は、Mさんの出身の下関にある関門海峡を背景にしました。私が「橋を渡って、また海中トンネルで対岸に行けますね」と尋ねるとMさんは「泳いでもいけます」と言われました。皆さんでMさんの故郷に思いを馳せました。故郷を遠く離れて余生を北海道で過ごされるMさんに、いろんな向かい風もあるでしょうが、助け手も与えられていきますように。

今日も主の恵みと慈しみが、追いかけてくる1日でありますように。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?