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【#115】新しい力(メッセージの断片集37)

6月25日(日)の様子

 眩しいほど日差しの強い日曜日でした。先週、「脱・蒸し暑い関西」をしてきたのですが、本当に北海道かと思うほどの気温が続いています。そんな眩しさに負けないくらい輝いている(?)ユースの皆さんが、「サルーキ=・Tシャツ」を着て礼拝に集い、礼拝後に記念写真を撮っていました。いいですね〜。

 礼拝後は、夕方から始まる清里町のオホーツクブランチ礼拝にでかけました。アイスクリームを食べながら、ピンっと天に向かって伸びている麦畑が、美しいですよ。あの麦のように自然体でシャキッとできたらなあと思うわけです。

▲ 麦畑は撮れなかったのですが、斜里岳です(2023年6月25日)

 礼拝と夕食、そして分かち合いを持ち、良い交わりのひと時となりました。帰ったら、お義母さんがちょうど大河ドラマの終盤を見ている最中でした。「晩御飯は何時頃に食べましたか?」と尋ねると、「さて、何時だったかなあ」と言われます。いつものパターンですが、晩御飯が目の前にあると時間が来るまでじっと我慢して待っていることはできないようです。90歳になってもそれくらい食欲があるということは、まだまだ生きる意欲があるということですね。(以下は礼拝メッセージの断片集です)

▲ 画像をクリックするとメッセージのエッセンスを250字で読むことができます。

疲れることもある

 斉藤和義の「おつかれさまの国」に、「そのひとの疲れに『お』をつけて『さま』までつけて 『おつかれさまです』と声かける 僕らの日々」という一節があります。なるほどなあと思います。、私たちはお疲れさまの日本に生きています。

 「若者も疲れ、たゆみ、若い男もつまずき倒れる」と聖書にそう記されています。「若者よ、働き盛りなんだから、何を弱っているのか。男たちよ、疲れ果てるな」と頭ごなしに、しっかりやれ、立ち上がれと言っているわけではありません。疲れることもあるということ、そして主はあなたの疲れを知っておられるということです。しっかりと、一生懸命に頑張ってこられた、そのことを主は知っておられるのです。

主を待ち望む

 ある人は「時間が解決してくれます」、「何とかなるよ」と言います。しかし主なる神は、「待ち望め」と言われるのではありません。過去も現在も未来も全てご存知である、永遠の神である主を待ち望めと言われます。いずれ「何とかなる」のではなく、必ず「何とかしてくださる」方を待ち望むのです。私たちを守る方は、眠ることもなくまどろむこともない、永遠の主なのです。

新しい力を得る

 「新しい力を得る」の直訳は、「その力を更新する」と訳せるそうです。交換する、着替えると言い換えることができるでしょう。私たちの力、肉の力、自分の頑張りではなく、聖霊が与える新しい力に交換するということです。古い自分の力を脱ぎ捨てて、主から来る聖霊の力、いと高き所からの力を着るのです。

 聖霊が与えてくださる力は、主イエスの力、本物の力、愛し続ける力、仕える力、諦めないで真理に立ち続ける力、赦してとりなし続ける力、人目につかないところでも継続していく力、貧乏くじを引いたような時にもつぶやくことなく、希望を持ち続ける力です。そういう聖霊が与えてくださる新しい力、主イエスの力で満たしていただこうではありませんか。

今日も主の恵みと慈しみが、追いかけてくる1日でありますように。  

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