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【#293】はぐらかさない(メッセージの断片集94)

9月1日の様子

 「神学生になったら言い訳を言ってはいけません」と出身教会の婦人に言われて聖書神学校に入学したことを神学生にお伝えした直後、「ということで、まず2つの言い訳をお伝えします」と言って、先月行われたCBCキャンプで神学生の前で話し始めました。そして先週土曜日、ここに投稿できなかったことの言い訳は記さないようにしたいと思います、という言い訳をしています!(何度も訪れてくださった皆さん、8月は2度も失礼しました。本日は出先から投稿しています)

 秋晴れと言うには暑い9月最初の日曜日。先月の恵みを数えつつ、今月も主なる神がご一緒してくださるからこそ、主の恵みを味わう1ヶ月になることを期待しながら、皆さんで心からの礼拝をささげました。

 礼拝後はお弁当愛餐会と分かち合い、そして月に1度の「ユースタイム」をT&Aさんご夫妻に導いてもらいました。ユースのみんなが目を輝かせて、楽しんでいたということでした。大人からしてみれば、自分たちの半分、1/3(3分の1)の年齢の彼らですが、15歳は15/15(15分の15)、つまり100%を生きています。等身大の自分を生きているという意味では、大人も子どももユースも同じです。そんなユースのこれからに、心からのエールを送ります。(以下は礼拝メッセージの断片集です)

▲ 画像をクリックすると、メッセージのエッセンスを250字で読むことができます。

はぐらかさない

 ヤコブは兄エサウとの和解後、エサウの住むセイルに行くことを勧められました。ヤコブはいくつかのもっともな理由を述べながら、自分たちのペースでセイルに行くと言いました。しかし結局のところ、兄エサウの所へは行かなかったのです。つまりヤコブが述べていたもっともな理由は、兄エサウをはぐらかすことになりました。そして和解の後、さらに関係を深める機会を逸してしまうことになります。

 私たちはいかがでしょうか。信仰の歩みにおいて、何かはぐらかしていることはないでしょうか。いろんな言い訳、理由を考えて、神との関係、人との関係で、はぐらかしていること、先延ばしにしていることはないでしょうか。大切なことをはぐらかせばはぐらかすほど、神の恵みもぼんやりとしたものになっていきます。

優先順位を間違わない

 ヤコブは兄エサウのいるセイルに行かなかったばかりか、主が命じられた生まれ故郷のベテルに行くこともせず、スコテで家を建てます。またシェケムという所で土地を買います。家を建て、土地を買うということは、 衝動買いでできることではありません。確かにシェケムで祭壇を築いていますが、順番が異なります。家を建てる前に、土地を買う前に、祭壇を立てて礼拝をささげ、それで良いのかどうか、主なる神に尋ねることをしませんでした。その結果、34章のような痛み、悲劇が起こることになります。

 ヤコブは大切なことに関して主なる神を第一にすることなく、自分の考え、自分のプランで物事を進めています。確かにヤコブはイスラエルとなりましたが、古いヤコブの性質が頭をもたげています。私たちも主イエスを信じて神の子となったけれど、古い肉の性質により、まず自分のことになってしまい、いつの間にか神様を小さくしていないでしょうか。一度に全てではないけれど、徐々に徐々に聖霊によって聖められながら、神の国と神の義を第一に求める信仰の旅路を歩んでまいりましょう。

 この日9月1日は、防災の日ということもあり、関東大震災の時に見た光景を歌った「遠き国や」を賛美しました。揺れ動く地に立ちながら、そこで輝く主の十字架を仰ぎます。

今日も主の恵みと慈しみが、追いかけてくる1日でありますように。

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