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【#274】加減(メッセージの断片集89)

7月14日(日)の様子

 今年になって、誕生月の方にどのようにして教会に導かれ、主イエスを信じるようになり、その後どのような歩みとなったのかという体験談を語っていただいています。教会の中では「救いの証し」と呼んでいます。自分自身の体験談を語っているのですが、証しは基本的に主なる神が私にしてくださったことを語るので、主イエスを証ししていることになります。

 この日はSさんが、かつて裏切られて大いに傷ついたこと、その人に復讐したいという思いでいっぱいだったこと、しかし主イエスに出会って主と共に歩む中で、復讐という裁きは神の領域であることを知り、むしろ祝福して歩む人生に変えられていることを話されました。救い主と出会うって、本当に素晴らしいですね。

 礼拝後はお弁当愛餐会と分かち合いの時を持ち、午後2時からは虹の会(三浦綾子読書会)で、『氷点』の「線香花火」の部分を読みました。紋別からYさんか駆けつけられ、また久しぶりにJさんも集われました。啓造や夏枝を批評家として見ているだけでは、『氷点』を読んだことにはならないでしょう。自分にも啓造のような心があると、心を痛めて涙を流しているY君の姿が印象的でした。(以下は礼拝メッセージの断片集です)

▲ 画像をクリックするとメッセージのエッセンスを250字で読むことができます。

「足し算」:人々の救い

 「リバイバルの加減乗除」という言葉をどなたが使われた言葉なのか忘れてしまいましたが、リバイバルには、足し算、引き算、掛け算、割り算があるということです。「使徒の働き」を読んでいて、確かにそうだなあと思っています。言葉は借りてきましたが、内容はオリジナルです。

 福音はエルサレムとユダヤ、サマリヤの全土、さらに地の果てまで広がっていきました。そして主イエスを信じる人々が、日々仲間に加えられていきました。ここに足し算がありあす。もちろん、迫害などのマイナス状況も確かにありました。しかし私たちの信仰の先達は、迫害によって散らされながらも、福音を語り続けたからこそ、福音の恵みに与る方々が各地に起こされました。今、どんなにマイナスと思える状況があったとしても、そのマイナスは実はプラスのために用いられるという信仰を聖霊によって持ち続けたいのです。

「引き算」:聖められる

 リバイバルには、足し算や掛け算だけではなく、引き算も必要なのです。それは罪が取り除かれていくという引き算です。聖めの業のことです。

 使徒の働きの5章にあるアナニヤとサッピラの出来事を通して、教会には「非常な畏れ」(Great Fear)がありました。教会の案内板に「愛と喜びにあふれた教会」というキャッチコピーはあるでしょう。しかし「非常な畏れが満ちている教会」という言葉は掲げないでしょう。(笑)しかし主の教会には、「非常な畏れ」、聖なる主の臨在、罪を悔い改める思いが満ちていることが、とても大切なのです。

 アナニヤとサッピラの出来事を通して、「誰一人、交わりに入ろうとしない」という、教会の敷居が一時的に高くなりました。しかし民衆は彼らを尊敬していたのです。アナニヤとサッピラの出来事を通して、教会の人々は益々誠実に生きるようになりました。人が見ていても見ていなくても、真実に生きている、誤魔化さない、偽らない、そういうキリスト者の姿を見て、民衆は尊敬していたのです。その結果、主を信じて、仲間に加わる者が、ますます多くなったのです。

 私たちは自分の罪を認めたくないものです。責められたくないので、多くの言葉で隠します。しかし聖霊が私たちの罪を示すのは、私たちを責めて痛い目に合わせるためではありません。むしろ主イエスの十字架による赦しや癒し、解放へと導くためなのです。そして主の御業が私たちの人生に現れるためなのです。リバイバルに必要な引き算、それは自分自身の罪を聖めていただくということです。その時、「主だ!」という神の御業を体験することができるのです。

今日も主の恵みと慈しみが、追いかけてくる1日でありますように。

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