ここ最近開催できない茶会について

 こんちわ、ざおです。なんだかえらいことになりましたよね。今年は茶会と花見一緒にやりたいとか思ってたのですが、できそうにないので、きれいな河津桜の写真を一緒に見ましょう。この花は散りません。

 コロナウィルスの感染拡大を防ぐため、あたしが住んでいる町でも色々なイベントが中止、もしくは延期になっております。あたしも「できませんからやりませんとか嫌」とか、前にイキって言ってましたけど、そうも言っちゃいられないです。まさかウィルスに阻まれるとは思ってなかったけどさ、でもまぁ、そういうこともある。

 実は今、あたしの家族の中に、ガン患者がおりまして、ご存知のとおり、そういう時の体は、免疫ダダ下がりです。で、あたしは、その人とほぼ毎日会っているもんですから、ちょっと普通よりも気を付けないといけない。だから、先月も今月も通常開催はしないと決めました。

 一方、今回のコロナ禍の中、あたしは色々考えることができました。今も考えています。

ひとつ面白いことに気が付きました。

 昨年の夏に「私たちはなにが怖いのか」というテーマで茶会を開催しました。あのときは、もちろんこんなことになるとは思っていなかったけど、あの茶会があったおかげで、あたしは、今、気楽です。そうか、これが制御不能による恐怖かとか、怖れの先に悪意が生まれているなとか、トイレットペーパーに殺到する人や、食べ物を買い占めたり、感染した人や、外国人をいわれなく差別する人のことを見聞きしながら、恐れが理性をぶっ飛ばすって誰かが言ってたなとか、思い出しています。そうやって、かつて人と話したことや、自分の話したことが、あたしの「恐れ」をなくしているとは、実に不思議です。話すことには、そういう効果があるようです。

 新しい問いも生まれました。「恐怖で理性がぶっ飛んでる状態っていうのが、本来の自分なのだろうか?だとしたら、理性が働いている状態の自分は自分ではないのだろうか?そもそも、本来の自分って何者か?」

 もう一つあります「正義って、いつ何時もゆるぎなく正義なのだろうか?そもそも、正義っていうのは善なのか?なにに依って、正義だの悪だのを判断するのか」

 こういったことを今、あたしは考えております。

 それではまた近いうちに。

 

 

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