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ハイブリッドな奴は何故強いか

僕が今まで経験してきた数少ないサンプルから導き出した怪しい傾向に賛同してくれる皆さんに向けて、文章を書きたいと思う。これは決して仕事がノらずに仕方無く仕事をしているフリをする為に書いているわけではない。

見出し画像の男を知っているだろうか。

僕が暇で書いた記事を読んでいるような機械学習やスタートアップ寄りのHigh-Educated High-Skilled High-Motivatedな人間は皆さん知っていると思うけれども折角なので紹介する。

ポール・グレアムというスタートアップ界隈やLISP界隈で一番有名なおじさんだろう。学部では哲学を専攻し、修士博士はコンピュータサイエンスをやっていて、コンピュータサイエンスの博士を持っている。それと同時にデザインスクールや美術学校で絵画をしていた。

この男は博士を取り絵画を楽しんだ後、スタートアップを友人と始めてその会社をYahooに50億ほどで売却して今はY Combinator(ラムダ計算における、関数をとってその不動点の値を求めようとしてモリモリ再帰してしまう素朴な関数ではなく、彼がそう名前を付けたベンチャーキャピタルの名前である)をやっている。このVCはDropboxやAirbnbやRedditに投資したというとヤバさがわかると思う。また彼は物を書くのが好きで、GoogleでEssaysと検索すると彼の随筆が一番上にヒットするのは有名な話だ。

僕は彼と何の関係もないんだけど、僕が最近気が付いた「人を見る目を鍛える意味での特徴量」を紹介したいと思う。

何故人を見る目を鍛えるのが大事かというと、ある分野で活躍した人Aさんの運用方法を考えてみよう。Aさんのスキルをそのまま使って大きなお金を稼ぐのは勿論いいことだ。しかしAさんをそのまま使うより、「Aさんに優秀な人を集めてもらって、より栄える」ことに時間を使った方がAさんを現金化する良い方法になる確率が高い場合がしばしば現れる。特にAさんがスペシャルであればあるほどその場合に遭遇する確率は上がる。

そもそも、資本主義と自由市場を仮定した場合は、十分な市場参加者がいて市場が成り立っている財の本質的な価値を測ることが出来る死神の眼のようなものを持っている人はその目と資本金があれば大富豪になれる。

市場の付けた価値と本質的な価値が異なっていれば、市場側がunder estimateでもover estimateでもその差額を掠め取ることが出来るからだ。

でも、大事なのは、その資本金が沢山ある、企業で言えば「人を採用したり予算を与えられて運用する立場になってその人の行う労働よりも、情報処理と命令や許可を出す労働の方が大事になった」場合である。

これからより強くなっていく我々のような若者こそがこの視点を持ってこの奇妙な能力を鍛えていく必要がある。

残念ながら自分は一部のスタートアップと一部の応用数学の界隈しか知らなくて、その分野で非常に優秀だなと思った方に共通する特徴を上げていきたいと思う。ここで挙げた特徴に当てはまり過ぎて「志位は俺/私のことを言っているんじゃないか」と思う人もいるかも知れないが、僕は特定の誰かではないということで、あまり気にしないでほしい。

ここに5個の特徴量のようなものを与えるが、下に行くほど大きく効いてくる実感がある。

1.学問に尊敬がある

この分野の優秀な人は、特に自分の専攻していないの学問の分野に対して尊敬の念を持って接する。新しい情報に常に新鮮な視点を持つということだと思う。この分野の優秀な人は一通り話を聞くと必ず質問をしてくる。自分で納得するまで考えるのだろう。勿論何らかの学問を大学の頃に本気で取り組んだ人も多い。

2.文字列や意味など言語に対する感性が高い

この分野の優秀な人は文字に興味が向き、文章を書いてもとてもいい文章を書く。文法の誤りにも直ぐに気が付き、文字列からの情報の吸収力もめちゃめちゃ高い。だから悪文を読むと気持ち悪くなったり、反省文を読むと非常にブルーになる。

3.全てをまず疑うけれど信じるものを選んで行動する

この分野の優秀な人は情報の嘘を見抜くことが得意で、悪くいうと粗探しがとても得意だ。しかし疑って何も動けなくなってしまうのではなくて、とるリスクを選択して次の行動に移る。なので行動が多くなるほど増える後悔を「するけれど、なかなか見せない」人が多い。

4.実利数字と芸術感性のハイブリッド人間である

渋沢栄一の『右手にそろばん、左手に論語』に相当するものを持っている人だと思っている。例を挙げるとポールグレアムはLISPと絵画のハイブリッドだ。何か楽器を弾けたり美術品に興味があるプログラマーや数学徒がそれに当たるだろう。縄文土器をやりながらC++している自称中3女子氏や、数学ガールを書いてる結城浩氏や上げるときりがない。この論語に分類されるものには音楽や美術、宗教、哲学、文学などのハイカルチャー、映画などのサブカルチャー、将棋や囲碁、カードゲーム、コンピュータゲーム、漫画、アニメなどもそれにあたる。そろばんにあたるのは数学や物理、コンピュータサイエンス、生物学、経済、経営など数字を元に実利を追いかける分野の技術である。起業家や実業家、商売をしている人もこれにあたるだろう。

5.苦労をして痛みを知っているが再起した

実はこれが一番影響が大きいが理解が難しい指標だ。ここで痛みとは、家族や家庭の問題に遭遇した痛みや、幼い頃に大きく健康を害した痛み、学校でのいじめやスクールカースト、差別、経済的な困窮による痛みをさす。痛みを知っているということが何の得になるかわからないかも知れないが、何故か痛みを知っていて再起した人はネガティブサンプルがなく、みなさん優秀だ。僕個人が何故痛みを知っている人が優秀かを説明する主観的な論がある。聞いて欲しい。

まず痛みを知っていると「また痛みがあるのではないか」と思う。これは様々なものを疑う姿勢につながるし、痛みを予知すると得やすい文字の情報の精査をするようになる。頭を使わなければならなくなる。再起するには実利を得なきゃいけなくなるから行動を取らざるを得ない。だから行動するような人になる。

その上で再起するまでは辛い痛みに一時的に完全に頭を真っ白にできる芸術やゲームが有効だ。これは再起にとても役にたつ。それに痛みを伴っている間は虚無な時間が多いのでそういった芸術に触れる機会が多くなるのではないかと思っている。芸術を嗜むことができるような裕福な家庭環境にいた人という言い方もできるかも知れないが、大人になっても触れ続けているのは理由があるだろう。

要約すると、『困難な状況に置かれた時に、いかに精神を健全な状態に保ったまま新鮮な目で実利と信用に塗れた現実の問題解決に向き合うかが得意な人』が僕の言う「この分野の優秀な人」だと思う。

なかなか巡り会えない。自身の過去の大きな痛みというのは言うことさえできない人も多く面接でも個人的な付き合いでも言ってくれる人は少ない。この種類の人とめぐり合うのはとても難しいし、目の前にいる人にどのような痛みの過去があったのかわからない。

僕がこの種の経験がある人とめぐり合うのは難しい場合、どうするかと言うと、①様々な痛みを追体験で知ること、と②痛みの中にあって再起すると自分が信じる人を引っ張り上げることだと思う。人を引っ張り上げることは非常に難しくて、自分が落ちることまである。僕も最初に引っ張り上げようとした人は途中で動くことをやめてしまい、手を離してしまった。落ちて行く友人を凝視するのはトンデモなく痛い。どうしたらよかったんだ。

志位は優秀か?

話が変わるけど、じゃあ志位は優秀な人なのか?と言う話だけど、いわゆるCPUが速いかと聞かれれば速くない。IQは昔測って90代だった。今は改善しているかも知れないけどそこまで賢くない。じゃあ人や環境を見て正しい決断ができる人がと聞かれれば、出来ない。今何社目だ?

じゃあ何が良いのかと言えば、多分痛みを知った上で楽観主義であることだ。強化学習的な文脈で言われるオプティミスティック初期値が設定されていることだと思う。5番が満たされていることだ。

事前情報もなく推定も近似することもできない全く未知の世界の情報がとても素晴らしい状態だと思い込んでいるのでそこにアタックし続けることだと思っている。結論としては『自分は多分優秀だ!もっと強くなれる!』と言い続けて走り続ける野犬のような人物というのが僕の正体だろう。

自己分析をしても仕方ないのでここでやめにするが、最近僕の情報を知りたいと言ってくれる人が最近増えたので、言うことにした。

では何故志位はハイブリッドな奴が強いと言い張るのか

5番が満たされていればほぼ確実に優秀である事が担保できると思っているのだが、それを短い時間や薄い関係で知ることはできない。その情報を確定することに多大な時間や運が左右するので運用上の問題があるというのが5番が使えない本当の理由だ。なので簡単に5番を満たす確率が高い指標として副次的に現れる情報が、4番に相当するハイブリッドな特技だと思っている。

だから、我々がある人から発せられる検知可能なシグナルのうちその人の「未知の状況で精神的負荷が掛かる中、リスク込みで正しくカードを切る能力」を測る上で僕が有用だなと思う基準はその人が4番を満たすかどうか、である。しかし僕らが全ての論語と算盤を知っているわけではない。なのでそのシグナルの検知のためだけに論語と算盤をできるだけ知っている事が大事なのだ。

そんな人の値段という傲慢な推論ゲームの為に論語と算盤を使うなんて悲しくないかと聞かれれば、その通り、悲しい。なので楽しみながら自分が取り組める論語と算盤を楽しんでいくのが大事だなと思った。今週はどんな映画を見に行こうか。友人とラムダ計算をもう一度やってみようか。

履歴書の空欄について

論語を読んでいたか算盤の技術を鍛えていたのであれば、それを自分の得だと思ってやっていたことをハッキリ述べるべきだ。恥ずかしい事ではないし、わかっている人なら寧ろ評価が上がる。所属が無かったことについて過度に恐れる必要はない。実力と所属が一致しない事は沢山あるし、お金が稼げるかというのは大きく経済や市場の状態に依存する。

お金を得る為には市場に出るというのが大事で、市場でのマッチングや現金化のみに腐心することも愚かではあるが熱心にしている人は沢山いる。市場は究極的にはその人の本質的な労働力の価値を現金に変換するのでマッチングだけを頑張っても長期的にはあまり意味が無くて、鍛錬を続けて強くなることとマッチングをうまくやることの両方が必要だ。

就職活動という活動で初めて市場に出てわからないことばかりな人もいるだろう(先に恋愛市場で活躍していた人が多少市場慣れしているから就職活動が得意な事があるが短期的な話なのであまり気にしなくてもいい)長期的にはやはり実力が無いと最後見た目とハッタリしかなくなってしまい、若さのBuffが消えてからレッドオーシャンで苦しむことになる。

今は景気がいい。勉強していた君は強い。安心してこの奇妙なハッタリ偽物がいっぱいいる市場に慣れていけばいい。多少時間は掛かるかもしれないが君の労働力の価値を正しく推定できる人に巡り会えるだろう。今もう一度市場に出る事が君がより強くなる第一歩だ。いい人ばかりでは無いがよく観察して正しいと思うことを選んで進んで行こう。

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