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第四趾の記憶
二十歳の頃、わたしはある男に飼われていた。飼われていた、という表現は卑下し過ぎかもしれない。けれど、飼われていた、という表現がわたしの中ではしっくり来るのだ。実家で暮らしていたのに、男が仕事場にしていたマンションの一室にいる時だけは、わたしは確かに飼われていたのだ。
男はわたしの身体の全てを性感帯にした。元々敏感な箇所は更に鋭敏に、くすぐったい箇所は性感帯の種だからと開発され、気持ちいいのかよく分からない箇所は敏感な箇所と同時に責められることで快感との条件付けを強化された。
男が特に執着していたのはわたしの右足の指、それも殊に第四趾を偏愛していた。幼児期からクラシックバレエを習っていたわたしの長い足指は、中央に向かって僅かに撓み、特に第四趾の第一関節には胼胝ができやすく、バレエを辞めていた当時でもそれはハイヒールによって同様の目に合っていた。つまり、一番醜い指が第四趾だった。
男はわたしが部屋にいる時は、食事やトイレを除いては常に、わたしの足指を舐るか触るかしており、わたしはそのせいで常に行動が制限されていた。素足で過ごすのは寒いと不満を訴えるわたしに、わざわざ床暖房の工事を始め、それはわたしを更に窮屈にさせた。
男は今でもあの床暖房の効いたマンションの一室を仕事場にしているのだろうか。わたしはホテルで年下の男の口に足指を突っ込みながら、男の分厚い舌の艶かしい感触を思い出す。15年もの年月で男への想いは微塵もないのに、わたしの右足の第四趾だけは、今でも男の熱い舌によってふやかされているのだろうか。
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