逆噴射小説大賞2022振り返り

昨年に続き今年も一次&二次で全滅でした。
ちなみに昨年も今年も応募可能数MAXで応募しています。
今年の通過率はかなり高く、過半数の方が通過しているそうです。
私はマイノリティである不合格側でした。
私は今までの人生で何らかの一次選考を通過したことが一度もありません。
本来こういうネガティブな気持ちで文を書くべきではないのでしょうが、どこを見ても通過された方の喜びの声ばかりで、落ちた者の気持ちはあまり書かれていない気がしたので書いてみます。

第一には自分が情けないということです。
落ちたこと自体より、落ちたことで落ち込んでいることについてそう感じます。
落ち込むほどに努力をしたか、真剣だったか? と自問すれば首を横に振るしかないので、これでは何もせず腐っているだけの人間と変わらないと思います。
そして考えるのは、なぜ通過したかったのか、ということで、それは「安心したかったから」ではないかと思いました。
自分に才能や文章力があると思いたいというより、「一つのことを何年か続けていれば大なり小なり成長する」という証明を得たいということが正確だと思います。
これは実は小説でなくてもいいのかもしれず、とにかく「自分は何年何十年経っても成長が無い」という感覚から抜け出したいのだと思います。
逆噴射小説大賞自体は昨年初参加ですが、執筆歴自体は八年くらいあって何の成果も得られていないので、目に見える成果が欲しいと感じるのだと思います。
成長を感じるために一番確実な方法は、何らかの賞の一次選考を通過することであり、一度でも通過すれば「人生において、最低限読むに足る文章を生み出せた瞬間はあった」と思えるだろうと感じているのです。
ただこうして文章にしてみると、通過したところで真の安心を得ることはできないだろうと分かるので、自分にとって選考結果はあまり意味のないものだと整理することができます。
他者から与えられたもの(今回で言うと選考通過通知)だけで幸福を得ることはできません。
自身の幸福感やモチベーションすら自分で生み出せない人間に、作品を生み出すことはできないと思います。
つまり、安心を得たいとか、何かを証明したい(選考結果によって自分の成長を証明してほしい)といった消極的な姿勢の時点で負けているのだと思います。
そうしたことが分かったところで、次へ向かいたいと思います。

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