三宅島

(2012年2月25日 福島県の主催うつくしまNPOネットワークの受託によって行われたもののメモ)
演題「噴火~全島避難~帰島」 講師:坂上幸一郎氏
坂上幸一郎さん
2000年三宅島から4年6ヶ月の島外避難。
三宅島災害・東京ボランティア支援センター事務局に参加。
たくさんの支援や行政の連携の中で「島民連絡帳作成」や「島民ふれあい集会」などの支援活動を経験。
2005年2月1日避難解除。帰島後の新しいコミュニティ作りの場として
2005年10月に島内に設立された「みやけじま風の家」の活動に参加。

三宅島の噴火後全島避難(9月)まで2ヶ月あった。
3日間で代々木オリンピックセンターへ全員避難長靴で
東京に降り立った避難後の感想は
「命の危険から開放されてよかったね。危険にさらされながら石やチリと向き合わなくて良いんだね」

困った時には一緒に避難してきていた役場の職員が話を聞いてくれた。
当時は携帯がなかったため、行った先が分からなくなった。
高齢者は切符の買い方が分からなかった。東京のど真ん中に投げ出された。

最初の声は「所在が分からない」「会いたい」
それで連絡を取り合うために「島民電話帳」をボランティアベースでやった。

小さなネットワークを作っていった→「島民会」
「うちの団地の島民会ができたよ~」というところから始まり、関東圏で40数件の島民会ができた。

最初は目の前のことにいっぱいいっぱいだが、会いたくなる

2001年の9月に三宅島に一時帰宅。
「我が島こんなにいたんでいるんだな」とそこで初めて長期化するんだなと実感した。

人によっては希望がなくなった。気持ちのバランスがおかしくなった方もいた。
先のことを考えることをやめたかったが、いつも考えてた。
そんな風にしている間に夫婦で別時期に鬱にもなった

帰島に向けて解決がつかないまま時間だけがすぎていったことも多くあった。喧嘩になったこともあった。
噴火によって大きな被害とガス役場の方もよく動いてくれたが非常に苦しい状況で帰島へとすすんでいた。
家族のなかで揺れていた。

父親だけが戻るという方も。家族の離散も多くあった。
支援 にはいろいろな方が参加してくれたがご近所の方が一番長くいてくれた。

そんなことをしている間に帰島の時期に。
「いよいよきた」と思った。

それは必ずしも希望だけでなく不安を抱えながら決断しなければならなかった簡単にはいかなかった。
かつての島とは大きく変わってしまった。医療、学校教育もない。

島の役場が数回調査したアンケートには帰島に関するおおかたの意見は「どちらともいえない」
噴火が完全におさまっていない段階災害まっただなかの帰島となった。

長い避難生活の中で起こったことがある。
精神的に人々が壊れていく親しい仲が目の前で壊れていくアルコールで壊れていく
支援者や隣人がそっといてくれたことが助かった。

集まりなどで、喧嘩をしながらも結局会うんです。
腹の探り合いを始める「お前のところ(帰島)どうするんだ?」
周りの方が直接会う機会をつくってくれたことが良かった。

【三宅島島民ふれあい集会】ーーーーーーーーー
・年に2回三宅島の方が集まる機会。500~600万円の運営費
・都営の公営住宅にまとまって避難されている場所には、
バスの送迎が行われ、参加しやすい環境にしたため、
毎回 1500~2000名程度の島民の参加となりました。
・運営のボランティアは毎回100~200名。
都外に避難している方には移送ボランティアの方々の送迎も。
・会場となった小学校の校庭には、毎回、支援団体
・企業のテントが40以上出店。
・最新の三宅島の状況をビデオや写真で展示、どこが工事しているなどの様子も説明すると同時に
体育館では、住民 説明会が開催され、島民と行政機関の意見交換の場にもなった。
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人さえ元気でいればなんとかなる。

帰島に際しガスやチリによる腐食ですぐ使えるもの(家や家電)がなかった。
まず最初に修繕のグループが入った(のべ5000人)

トタンが多かった屋根はまず最初に取りかかった。
火山灰とガスで傷んでいたからだ。一時帰宅の際には穴が空き、空が見えた。
三宅島は持ち家の方が多い、白アリなどの問題もあった。

全国や都内だけでも散らばったことは悪いことだけではなかった。
11年立って面白い結果になっている。
帰島後、自分が避難していた近所肉屋さんに会いにいったり、避難していた先に友達と久々に会う。
身近な普通の暮らしをしていた方に会う「第2の故郷」

長期化という暮らしをしなければならなかったあの4年半
他人という存在がそばにいてくれた方がいて乗り越えられた。

【被災者生活再建支援金、義援金】
17年2月までに27億3900万円が寄せられ以下のように配分

1回目 H12.8 1人あたり2万8000円
2回目 H12.12 1世帯9万円+1人あたり12万円
3回目 H13.5 1世帯9万円+1人あたり12万円
4回目 H13.12 1世帯9万円+1人あたり12万円
5回目 H16.12 1世帯9万円+1人あたり12万円
6回目 H17.8 ・帰島 1世帯30万円 1人あたり5万円
 ・帰島 高濃度100万円・非帰島 1世帯15万円
 ・再転入 1世帯9万円 1人あたり12万円

7回目 H18.2 ・泥流,地震等被害 持家世帯100万円 借家世帯50万円
 ・高濃度地区世帯 持家世帯100万円 借家世帯50万円

その他にも低所得者には生活保護、災害保護なども
ピーク時には災害保護は48世帯が受給、
月平均約5万8000円が支給

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