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アラスカに行ってみよう!アラスカ日記〜第1話〜

何から話を始めよう。

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たぶん2001年だったと思う。20歳ぐらい。
友人から「旅をする木」という星野道夫の本をもらい、読んでガイアシンフォニーを観に行って、さらに星野さんの本を読みあさって「アラスカに行かなきゃならん!」って思ったのが始まりだと思う。

当時、ぼくは電波少年で猿岩石が深夜特急をなぞっていてアジアに対して強い憧れを持っていました。

「アジアいきてー」と思って、ボランティアでタイに寺子屋を建てに行って、帰ってきたあとでなんとなく夢を叶えて、次はインド?とか思ってた頃だと思う。
性格的にインドは無理、不潔なんが無理だろうと思ってたときに、ドーン!!!!ズーーーン!!!ってアラスカにやられたんだと思う。

旅立つのか?

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「今、私が東京のオフィス街にいてるまさに今、アラスカの海でザトウクジラが海面を跳ねていることを知れただけで十分です。」
道夫さんの本にこんな一節がありました。


アラスカへの手がかりは写真や本のフレーズに頼っていて「現実の種」というものは僕の手元にはありませんでした。グリズリー、カリブー、ムース、ザトウクジラ、大陸オオカミ、オーロラ、デナリ、ユーコン、アンカレッジ、フェアバンクス、なんでもよかった。

とにかくアラスカの何かを僕自身のどこかに組み込みたい!
そう思ったのは覚えています。

でも当時、海外旅行に行くと行ったらアジアとかヨーロッパとか、友だちはみんなガイドブックにある旅先を選んでいて「アラスカ行きたいねんなー」って言ってもピンとくる人はいなかった。

そんな中でモーグルのW杯斑尾大会の係員のバイトにありつけました。そこで出会ったキミさんというナイスガイが、アラスカの森林警備隊をしていたということでたくさん話を聞きました。このことでアラスカとの心理的な距離が一気に縮まり、手の届く感覚を掴めたんだと思います。
斑尾から関西に帰り、大学4回生に進級し、就職活動とバイトとアラスカに向けたトレーニングに明け暮れました。
(斑尾ホテルで相部屋だったキミさん。大会の後夜祭の後に部屋に戻ると締め出されて部屋に入れない。誰か(のちの奥さんw)を連れ込んではったみたいで僕は大浴場の脱衣所で一夜を明かしました。←絶対に忘れへん!

2002年8月13日

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今みたいにネットがあって情報があふれてるとかそんな時代ではなく、「地球の歩き方」が1番信頼のおける情報でした。あとは経験と勘。

僕の装備はテント、寝袋、マット、クッカー、あとは現地調達!米軍の払い下げのショップがあるらしい。宿もあるらしい。なんとかなるっぽい。
今考えたらよくあんな荷物で旅立ったと思う。
若いって怖い。

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前日まで大学の友人と長島スパーランドに旅行に行って寝ずにアホみたいに飲んで遊んでボロボロの状態で前日を迎えたと思う。なんの不安もなく、ただワクワクしながら飛行機に乗って旅立ったと思う。

関空→バンクーバー、バンクーバー→アンカレッジ。
13時間+5時間ぐらいだったか。
乗り継ぎのとき、バンクーバー国際空港の放送で名前を呼ばれて早く来い!と怒られた。乗り継ぎの時間がギリギリだったようw

係員をつかまえて、ダッシュでアラスカ航空のカウンターに向い駐機場を駆け抜けた。そのとき見たアラスカ航空の尾翼のエスキモーのロゴがカッコ良すぎて、一人で騒いでたら係員にまた怒られた。

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とにかくあと一歩で憧れのアラスカに立てると思ったらワクワクが止まらなかった。

初日にホームシック

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アラスカのアンカレッジ空港に到着!
アポロ11号が月面に到着して一歩を踏み出した感動を追体験していると錯覚しているアホがここにいました。
1人で興奮してニヤニヤしまくってたと思う。

僕が乗った飛行機はその日の最終便でお店も閉まる直前、乗客もスタコラさっさと空港から出て行く。
近くにいた人に「ダウンタウンに行くバスはどれだ?」と聞き、教えてもらったバスに乗り込んだ。

車窓から見える広大な駐車場。その奥に見える広大な自然。見るもの全てがデカい!
すげー!すげー!すげー!って言ってたら、到着!

再びのアンカレッジ空港。

ん?

ん?

ん?

20分ぐらい走って、さっき降り立った空港に逆戻り。

なんで?

バスの運ちゃんに聞いたら「降りろ、終点だ。」

どうやら駐車場を回るだけのバスらしくダウンタウンには行かない様子。

ポツンと1人、真っ暗な空港を背に佇む僕。

ヤバいやつや!?

いきなりのピンチ!!

地球の歩き方にある地図で現在地を確認。空港からダウンタウンまで、、、めっちゃ遠い!!
日も沈んできてるし、疲れてるし、早く宿に行きたい!!
交通手段は無し!!

歩かないかんパターン!
背中には20kgの荷物!

でも仕方ない。歩くか。

んで、知らない国の知らない場所、道、街灯ほぼなしの道を歌いながらダウンタウンを目指して歩く。

たぶんだいぶ歩いた。人通りもない、車も通らない、なんか知らんけど怖かった。

テクテク、テクテク、テクテク。

そしたら空港の方から車がやってきた!
しかも黄色のタクシー!!!!!

たぶん人生で1番、滑舌良く叫んだと思う。

「Hey!Taxi!」

何やってんだって顔で運ちゃんに見られながら地図で行き先の宿まで連れてってもらう。
いきなりのタクシー出費で出鼻をくじかれて少しめげる。
でもここはアラスカ!
僕の憧れ場所!なんとかなる!

と思ってついたユースホステル。

レセプションで泊めてくれと言ったら、無茶苦茶はやい英語でまくし立ててきて、何を言ってるのかわからん!
泊めてくれ!

No!

Why?

No!

×10回以上

空いてるっぽいのにアカンって言われて、ついには追い出されました。

アンカレッジの街でまたもやポツン。。。

まぢか!と途方に暮れて、どうしたもんかとその場に座り込んでタバコを吸って落ち着くようにしました。

とにかくベットで寝たい!

どっかの茂みに荷物を隠して、宿を探すことにしました。

とりあえずどこでもいいからモーテルはないものかと歩き回ってなんとか発見!
荷物をデポしたところに戻って、ザックを担いでモーテルにチェックイン。

寝ずに遊んだ夏旅行、ワクワクしすぎて寝れなかった飛行機、バンクーバーでの空港ダッシュ、アンカレッジ駐車場ドライブ、ユースホステルでのやりとり、モーテル探し。ボロボロの状態で入ったモーテルの照明は暗く、時差ボケで脳みそはくちゃくちゃ。
食べ物は機内食で出たクッキー6枚と水のペットボトル。

号泣。

声をあげて泣きました。とりあえずワンワン泣いた。

ほんまに今から36日間もやっていけるのか。
なんやったら帰りたい!と。
僕の英語は通じひんのか?と。

とにかく疲れきってたのもあって泣きまくって寝ました。
たぶん次の日の夕方まで爆睡。
15時間くらい寝たと思う。

まだまだ僕のアラスカ地図は「点」のまま。
へこんだ気分を上げるリハビリ生活が始まる。

旅の初日の記憶。


よくもまぁこんだけ覚えているものかと。。。ほとんど日記を見ずに写真も見ずに書き上げています。
それだけ強烈なインパクトを自分自身に残していたんだなと思う。
あれから20年、思い描いていた未来の上に立っているのかというと、だいぶ逸れてる気もするし、GOODとも思う。なかなかの人生です。
ま、こんな調子でアラスカの日記を20年ぶりに書き出していきます。
ぼちぼちやりますんでよろしくです。

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