自覚

中学の頃。
班ノートに、「僕も班長として自覚が出てきたと思う。」と書いたら、
担任の先生に、自覚がでてきたという使い方が不適切だと言われた。

それも、終の会での個人名をさらされて使い方の講義を受けたのである。
こっぴどく、いじられた。

私は心の中で、「先生、何もみんなの前で晒さなくていいのでは?!」と思った。

先生にとって、私の発言や行動がぞんざいで、目にあまる部分があったのだと思う。

クラスメイトに笑われ、しばらくは「自覚」が出てきたね。とからかわれた。

その時の先生の講義では、「自覚」とは、第三者がその当事者を見て評価する時に使う言葉だそうだ。

自分が覚えると書くので、自覚が出てきたと表現したが、どうやら調子にのっているように、先生は受け取られたのだと思う。
事実、私はお調子もので、世の中を舐めていた。

恥ずかしい思い、
悔しい思い、
悲しい思い、
つらい思い、

ネガティブな感情であればあるほど、その時の記憶が残る。
数十年経った今でも思い出すことを考えれば、その時に、嫌でも、
後世、まんざら悪くないと思える。

人間万事塞翁が馬。


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