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主人との別れ【絶望と愛】

おはようございます。
突然思い立ち、6年前 主人を突然亡くしてから、私の“わたし“へ感謝と愛を贈る毎日が始まって起きてきた、“奇跡“の出来事たちを書き留めていきたいと思い、noteをはじめることにしました。

つらつらと思い立ったときに書いていく予定ですので、宇宙のタイミングが合ったかたにお気軽に読んでもらえたら光栄です。


まず6年前の出来事から…。

6年前の夏の暑い日、なんの前触れもなく主人は突然亡くなりました。

当時の私は、2歳半の息子と2人でどう生きていくか…よりも、人生の宝のように愛していた主人との突然の別れに、呼吸さえできないほどの絶望感に襲われていました。
例えていうなら、地球が目の前でグチャッと突然潰れて消えてしまい、『終了』のブザーがけたたましく鳴り響き、地球が強制的に終わりを告げたような、生きていて今までに無い感覚でした。

この時の例えようのない絶望感と、もう私自身さえ魂が抜けて、生きていないような地獄のような感覚は、49日まで続いていたのだけは覚えています。
(1周忌までの記憶はほとんどありません)

唯一覚えているのは、自転車を漕いでいるときだけ。
『愛しているよ、ありがとう、ごめんね.、許してね』と呼吸をしながら、もう会えない主人を泣きながら必死で青い空に探している自分だけは、今でも鮮明に覚えています。

この
『愛しているよ、ありがとう、ごめんね、許してね』
は、自然と、亡くなったとわかった瞬間から主人へ向けて溢れた言葉でした。
今思えば、私自身が生きることをやめてしまいそうなくらいの絶望感に襲われていることに気づいてくれた 私自身の奥の無意識の私が(魂?細胞たち?)、私が生き続けていける為に、自分自身へ“感謝と愛“の言葉を降り注いげるようにしてくれたのだと感じています。

その証拠に、私は6年前の衝撃の別れの日からは、この愛の言葉を心の奥で唱えていたおかげで、呼吸をすることができたからです。


“愛“と聞くと、大袈裟に聞こえる方もいるかもですが、主人への溢れる愛の言葉が、自分自身へ循環して贈られてきて、いま、私が生きているのは真実です。

これは、紛れもない“愛“のおかげだと、自信を持って言えます。

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