何が変わったんだろう

スマホってやつがやたら便利。
なんでもできる、簡単に。ホントに便利。
だけどさ、とモヤモヤする。

20年前、僕は短期間ロンドンに住んだ。
突然、なんの根拠も金もなく、ロンドンに住んだ。英語もわからん、ビートルズとピストルズとシェイクスピアは知ってる、ヘェ〜大英博物館でかい!何を見たのかわからなくなるくらいでかい!スーパーで角食とチーズの塊を買う、1週間分の食料だ、レジで黒人ふっくら女性に笑顔で話しかけられるが、さっぱりわからん、1人で小さな劇場の芝居を観る、チラリを配っている女性に、たぶん、どうして1人なの?友達は?彼女は?と話しかけられてナッスィンと答えたら苦笑いされる。
つまらん経験と知恵に毒された赤ん坊だ、言葉がわからん、笑顔に笑顔する余裕もない。
悪夢から目が覚めて窓の外を見た時、ハイドパークが見え、まだロンドンか、と愕然とし、これがホームシックか、と知る。
そんな時を過ごした事がある。
当時現地で知り合った方にプリペイド携帯を持ってよ、連絡つかないから、と言われ、住んでいたアパートの大家の電話番号を教え、大家に迷惑がられていた。
僕はまだ携帯電話を持つ事も初心者だった。

日本で散歩中に電話がかかってくるのが、ものすごく嫌だった。

もしもだ、あのロンドン滞在中、今のようにスマホがあったら、僕はホームシックにはならなかっただろうか。
日本から届く友人達の手紙を毎日楽しみに救いにしていた、一月くらいは、ホントに孤独だった。チラッとテレビで小渕首相が死んだニュースを見たり、17歳のバスジャック事件を知ったりした。

今だったら、TwitterとかFacebookとか、メールとか、簡単に繋がれる。
あの頃は公衆電話で日本に電話してた、電話してたら黒人達が僕が入ってる電話ボックスを囲まれていた事もあった、怖かったが、まだ通話中だボケと言って追い払ったりもした。

今だったら、あんな孤独にはならなかっただろうか。
あまりの孤独は、しかし僕をロンドン中を歩かせてくれた。何かに出会わなくちゃ壊れそうだった。毎日ギャラリーを巡り、チケットが安く買える日をめがけ演劇を観て回った。

僕の孤独は、誰かが孤独から生み出した作品に救われる。
僕はどんどん許されていく気がした。
僕の存在は、当たり前に存在して自由だと思った。貧しくても、酒もパンも買えなくても、僕はたくさんの作品に触れて裕福になり、クラブに入って、音楽に溶けてた。

もしも今みたいにスマホがあって、それでなんとなく繋がれて便利だとして、僕は、孤独に立ち向かえたのだろうか。

ま、わかんないけどね。

目の前の何人かわかんないやつと、下手クソな英語でなんとなく通じあって笑い合えた時のあの感動は、その時、その場所、その空気、その人間を体験しないと手に入らなかった。

あの時の僕がたとえ便利なスマホを所持していても、電源を切って、外に出たと思う。

孤独には、出会いが必要だから。

ずいぶん便利になった気がするけど、何が変わったんだろう、人は生身の人に出会わなくちゃ楽しめないのは、どうしたって変わらないよ。

その恐怖と快感を知ってる。

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