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EVO Japan2020について

唐突に、思い出話をしようと思う。

この記事はいつもの「ぷげらさんだいしゅき節」ではなく、私の格ゲー原体験の話だ。

この話にぷげらさんは登場しないし、何なら誰かの地雷を踏み抜く可能性もある。

だがしかし、Twitterで「#ストVの思い出」というタグが出回り名だたるプロやユーザーがノスタルジックに浸りつつ、EVO Japan2023が約1ヶ月後と近付いたこのタイミングで、この記事を出そうと思う。

前提となる言い訳をするが、以下今回の本題となる文章はEVO Japan2020の初日に当日レポとして@fightersenaではないTwitterの鍵垢に投稿した文章を加筆修正したものになる。
今更読み返してもそこそこ恥ずかしいものだが、今でも忘れられない思い出の話だ。

ただの“うぱギャ(歌ガール)”であったわたくしちぇなたんと、

歌広場 淳という男の話である。


(古の「地雷を察知した人はここでブラウザバック!今だー!」ポイントです)

【いつもの】
ここに書くのはわたくし「ちぇなたん」の独り言、ぼやき、独善、個人の主観であり、推し当人やその他関連及び文面に登場する人物・団体には一切関係ありません。ご承知おき下さい。

という訳で語って参りましょう。
むか〜しむかしのことじゃった………


気合いと努力で本命と目を合わせて会話をした話を聞いてくれ。

約8年前。
我が本命、歌広場 淳が格ゲーの師匠である『伝説のオタク』氏を連れて格ゲーについてトークするニコ生に出演した。
(本命:ビジュアル系における「推し」的な用語。わかりやすく以下では「推し」と書くこととする)
(現在は有料動画になっている模様。惜しい。)

当時この放送の中で話す歌広場 淳という男を見て、不思議とそれまでに抱いたことのない感覚が胸に湧き上がったことを今でも覚えている。

その頃私はシンプルに「友達とゲームをする」という事象に憧れを持っていた。
それはゲーム自体を買ってもらえずゲーム好きの友達の輪の中に入れてもらえなかったという虚しい幼少時代を送ってきたことに由来する感情である。
それ故、理解を得ることが難しいことを前提としながらも「自分の好きなこと」として主張した格闘ゲームに関してアツく語り述べる歌広場 淳という男に対し、「推す」という感情とはまた少し違う憧れを抱いたのであった。
私が人生で経験したことのないツールを使って人と関わることを「楽しい」と話す歌広場 淳の口調に、表情に、思考に、思い焦がれたのである。

件のニコ生から少し時が流れ今から約6年前。
e-sportsスターリーグという芸能事務所対抗ゲーム大会が企画された。私はそれを現地会場席5列目で見ていた。何故かやたら席が良かった。
自分より前の席には30~50代と思しきオジサマ達が腕を組み、口々に声を上げて熱心に画面とプレイヤーにゲキを飛ばしている。
私は目紛しくキャラクターが飛び交うスクリーンと必死に手を動かす推しとやかましいおじさん達とが一体になったその光景に飲み込まれながら、掌を合わせて組み「どうか推しよ負けてくれるな」と指の股の皮を爪で抉らんほどの力を込めて見ていた。
イベント終了後、私の頭の中は「ゲームというものはこんなにも人を熱中させるものなのか」という驚きと、1本のライブを見終えたような満足感・謎の達成感に満ち溢れていた。

5年前、PS4を買った。
その頃にはもう歌広場 淳という男は「格ゲーを熱心にやっている」ということを包み隠さなくなり、Twitterなどでもそれに関する発言が増えた。
これは私個人がTwitterの弊害だと思う点なのだが、推しのツイートは見たい。ただし、推しに寄せられる第三者(自分のフォロワー含む)からのリプライはあまり見たくない。
何が言いたいかというと、歌広場 淳の格ゲーツイートに寄せられる「何言ってるかわかんないけど楽しそうだね♡」というリプライに対して私は怒り狂っていたのである。

「わからないけど」と、言わんでもよくないか……?

「楽しそうだね♡」「がんばってね♡」それだけでよくないか…………!?

何故「(お前の言うことを理解する気はないけれど)」という暗喩をわざわざ接頭に置き、自分の推しにリプライを送っているのだこの狂人共は。
そう思っていた。

故に自分もゲームを始めた。

少なくとも自分は「わからない(理解する気は無い)けど」と言わない人間になりたかった。
正直わからなくても「わからない」と直接伝えなければいいだけの話なのだが、人生に若干の余裕を見出し始めた折に、昔感じていた憧れに手を伸ばしてみようかとどこかで思ったのかもしれない。

「わからない」ところから何かを始めるのは思った以上に大変だった。
・ボタンの押し方
・技の出し方
・コントローラの握り方
そんなようなことを20代そこそこの年齢でありながら1から学んだ。
キャラの見た目で言えばジュリが好きだったが、コマンド技が出せなくて有識者にオススメを聞き初心者でも使いやすいエドに変えた。
さすがに毎日練習したとは言えない。仕事もある。他にやりたいこともあるし、ライブツアーに参戦しに地方に遠征もした。
だけどPS4の電源を入れること、技を出す練習、相手の技を防ぐ練習もコツコツ続けてきた。

普通PSユーザーならPSネットワークを繋いだ上で自宅で対戦をするものだと思うのだが、この頃の私は無知且つ横着で、自宅ではコンボ練やCPUと対戦などをしながら、人との対戦は近所のゲーセンにパッドを持参し行っていた。
推しの口から語られる「ゲーセン神話」を聞きその場に足を踏み入れてみたいと考えたことがきっかけである。
というのは半分建前で、全くの未経験からPSネットで対戦をした時自分のアカウントの勝率があまりにひどいことになることが目に見えていて、それが嫌だったとも言う。初心者のくせに。

ゲーセンで無作為に当たる誰とも知らない誰かは、10人に1人か2人自分と同じような初心者に当たれば良い方と言ったレベルで、あとの8~9人はネシカカード(アーケード台で対戦をする際にアカウント登録や勝率記録ができるカード)を持ってないだけの歴戦の格ゲーおじさんなんだろうな……という実力だった。

それはもうボロクソに、負けに負けた。

コンボのひとつもさせてもらえないまま、パンチのひとつも当てられないまま、ソニックブームをくらいスクリューをキメられ昇竜拳をパなされた。
だがしかし、それが良かった。
「このどこの誰とも知らない歴戦のオッサンに勝てるようになったら、きっとPSNのランクマの同じ実力帯の人にも勝てるだろう」
漠然とそんな期待ができたのだ。

一人暮らしを始めた春にPS4を買い、その年の末に初めてゲーセンの対戦で勝ち星をあげた。
あまりに嬉しくて帰り道にちょっと泣いた。

EVO Japanという格ゲー大会の話は、格闘ゲームをやるようになってからよく耳にしていた。
大規模な大会で、有名な格ゲーマーやプロもいっぱい来て、歌広場 淳もオフで参戦するほどの大会なのだと。それがこの年も開催されると。
最初は観に行くだけのつもりだった。
有名人の上手いゲームを見たいと思った。
ワンチャン推しがゲームする姿も見たいと思った。
しかしエントリーが締め切られる前に、女性限定の格ゲーマーのオフ対戦会に参加する機会があった。
ランク無差別の大規模な対戦会に出向くほどの実力が無いことは自負していたが、少人数且つ女性限定ともなればド初心者でもある程度は許されるものかと思った。誰かから誘われた訳ではないが見聞を広げようと仕事終わりにパッドだけ持って行った。
初めて顔を合わせた女性で格ゲーを頑張ってる人たちは、ド初心者且つその場に顔見知りのいなかった私にも親切に声をかけてくれて対戦経験を積ませてくれた。

いつかの格ゲー語りで歌広場 淳が「格ゲーは対話の手段になり得る」と言っていた。

私もこの人たちと会話ができるようになりたいと思った。

EVO Japanに出ることにした。
大会なのだから「初心者だから」という言い訳は通用しない。それでも、頑張って恋焦がれて追いかけた世界に、推しに、一歩くらい近付けたのかを知りたくなった。

当日、推しの試合は12時から。私は16時から。
その年歌広場 淳は『ReMG』(SiM:MAHさん主催のゲームが好きな芸能人が集まったゲーミングチーム)の名義でEVO Japanに来ており、また『格ゲー喫茶ハメじゅん』という格ゲー番組のレギュラーも持っていたので、もちろん取材もカメラも多かった。
推しの試合の際には観戦できる柵の最前を取ったがモニター背面がこちらを向き推しの顔しか見えない、そんな状況だった。
近くにいた熱心なうぱギャ(歌広場 淳のことが好きな女の総称、旧版。現在で言うところの『歌ガール』)はこそこそとカメラを構えきゃあきゃあ言いながら、表情の機微を察しようと必死に歌広場 淳を見つめていた。私もまあ、変わりはないのだが。ただ、試合進行が見られないことは悔しいと感じていた。
歌広場 淳はその日の自分の全試合を終えると、最後まで柵にかじりついていた私と数人いたウパギャに向かって手を振りながら言った。

「今度はライブで会おうね!」

彼なりのファンサだったのだろうと思う。
だけど私にとってはその一言がどうしようもなく寂しく聞こえたのだ。
「君たち本当はこんなところに来る人間じゃないでしょ」
そう言われたようだった。

少し時間を空けて、私の試合の時間が近付いた。集合場所に出向くと、何とまあ。
今度は私が柵の内。あちらが柵の外。
私の試合が行われる場所の柵のすぐ傍に、
推しがいたのだ。
剥き身で。
しかも一般ゲーマーとおしゃべりなんかしながら、ツーショットにも応えている。
私は迷った。
私はきっとそこそこミーハーな性分なのだが「ミーハーであるように見られる」ことが何より嫌なのだ。ファンだからと言って目の前にいる推しに軽率に話しかけることなどあっていいのだろうか、と、奥歯を噛みしめ2分くらい考えた。
………幸いにも自分の試合まではあと10分くらいある。意を決して柵間のロープを潜り、一般ゲーマー達による撮影待機列最後尾に並んだ。
あまりにちょろい。
前の格ゲーマーが捌けて行き、いよいよ私の番になった。

「一般人なんですけどお写真とか大丈夫でしょうか」

「んー、全然いいよー!ただ列になっちゃってたからぱぱっとインカメになっちゃうけど許してね。」

この推し、仏か?天使か?
俗に言う「神対応」というやつに当てられ呆気にとられてる間に撮影は終わり、推しの視線は私の後ろの一般ゲーマーに向かう。
自分でもよくわからないが、気付いたら自分の手が推しの肩を叩いていた。

「私ただのうぱギャだったんですけど淳さんに影響受けて格ゲー始めて今から闘ってきます!!」

ここまで一息。
推しと一瞬、目が合った。

「え!ほんと!?すげー!!めっちゃ頑張ってね!!!!」

いつかの握手会の会話と同じような勢いで、声質で、少しテンションの上がったようなよく知った声で、そう言いながら推しが私の腕をばしばしと叩いた。

「いってきます!」

「うん!」

これが書きたかったが為のこの文の長さである。

わかりたいと思うことは無駄ではなかった。

歌広場 淳が格ゲーの話を始めてからそれを理解しようと踏み出したウパギャは私だけではないかもしれないが、
それを握手会なんかではなく、
「ゴールデンボンバーの仕事」の場ではなく、
その話をして然るべき場所で彼に伝えられたことが、努力と気合いを振り絞った私自身への何よりの報いだったのだ。

撮ってもらったツーショ。
距離感がバグり散らかしあそばせている。

………改めて読んだらあまりにもアレでやっぱりだいぶちょっと加筆しました。
とは言え事実は捏造してないです。

ちなみにこの時の私の試合結果ですが、0回戦(点呼)だけは無事に突破し、1回戦で当たったおそらく同じくらい(ルーキー〜シルバー)の実力帯であったであろうキャミィ使いのお兄さんとそこそこの泥試合を繰り広げた結果負け申した。
いい思い出。

ちなみその2、だいぶ序盤に書いたe-sportsスターリーグという芸能事務所対抗ゲーム大会のゲスト解説がBC|立川くんでありました。
イベント自体が確か1月のことだったのですが、MCで近々成人式がどうのとか言って髪の毛が片ハゲな上にド金髪であった。お互い年取ったのう。
そこから私が格ゲーシーンを見続けてぐっぱちにハマり、あろうことかぐっぱちのオフイベでこの話題を懐かしむ事になるなんて当時の私は信じないだろうな。
(ぐっぱちキャラバンレポ参照)

ちなみその3、原文の編集をしながら『5年前、PS4を買った』という一文に対してだいぶキレてしまった。
PCを買え。馬鹿。どあほう。
この時にPC買っておけばこの後Steam版がどうのネット回線がどうのと地味に苦労することも無かったのだ……たわけめ……

さておき。
あれから数年経ち、今ではすっかり格ゲー界で息をすることが上手になった(気がする)ちぇなたんでありますが、原点に居たのは確かに大本命歌広場 淳という男なのでありました。

この記事があの男の今の評判をどうこうするとは思っていないのですが、それでも確かに「コンテンツとして推すにはあまりにもイイ男だったんだぜ」というくらいのエピソードにはなるかなと思います。

………なるか……?

本件とは関係ない蛇足でありますが、((現在の))御推しぷげらさんと私が(一方的に)出会ったエピソードはこちら。

EVO Japan2023楽しみだな〜
今年は目指せ1回戦勝利💪!!

それでは!

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