デス
やっとの思いでこの本を読み始めた。
書店にあっても非常に手に取りにくい、
もしくは「タイトル」から読みにくい
という印象を与えるだろう。
#イエール大学教授 である #シェリーケーガン 氏の著書であるこの本は「DEATH」
死について語られている。死の定義から
始まり、どのように生きるべきかと説く。
リンダグラットン氏の著書
「Life Shift」が爆発的に売れ
「人生100年時代」というフレーズが
巷を賑わし、今後を考えるうえで
非常に考えさせられる著書でいうのは
言うまでもない。 戦略的に人生を
設計するのには指針となるであろう
著書である。
しかし、ひねくれた僕はそもそも論として
「長く生きる事 = 良い事/幸せな事」なのか?っと思ってしまった事が原因で
僕はこの本を手にしてしまった。
「生きる」とは何かを「死」という
逆の観点から考えてみたかった。
「死」は予測不可能であるからこそ
「死」から人生の価値を測ることは
可能なのか? そんなことを考えながら
読み進めて行くと 「生きる」と「生かされる」は意味が違い「生かされる」時間も
「生きる」時間として換算されるという
疑問にぶち当たった。
年齢を重ね定年後のお年寄りの方が
一日中やる事もなくテレビの前で
過ごす姿を見かけると、これは
「生きてる」というのか「生かされてる」
というのかどっちなんだろう?っと
生物学上は「生きる」に分類されるが
その中身はどうなんだろう?
下記のような単純な定義から考えてみてみたい。
生きる= 主体的に行動する(目的追求)
生かされる= 意欲減退もしくは、
個人の意思で身体を動かせ
ず主体的に行動出来ない。
医療福祉の充実によって長く生きる事は
可能となりつつある。平均寿命 男性、女性とも年々上がっている。それと共に
人生の充実度(幸福度)は平均寿命と比例して上がっているのかといえば違うはず。
やはりその理由は「質」。
年数✖️充実度(個人の感覚による計測値)= 幸福度
上記のようなカタチで測るとすると
高い充実度(100を上限とし)を毎年繰り返していく事が幸福度が高くなる。
その逆に充実度が低いと幸福度も比例して低くなる。
ただ、人は頭では人間いつかは死ぬと
理解しているものの実際には感情では
その怖さを感じることなく生活している。
不確実性のある死に対し年数(結果論であるが)を定めることは無意味なのかもしれない。
例えば、数字上同じ数値を表すが
充実度と年数が違う場合どっちが良いの
だろうか?
1)充実度平均80を40年
2)充実度平均40を80年
この点は、非常に考えるうえで1番ネックとなる部分でどっちが良いかを
決めれるもんじゃない。
長く生きる事が良いという流れになっていないか?
質と量の積(面積)によって幸福度が得られ、不確実性の死を加味するならば
日々の生活の充実度の総和が幸福度を
示すのではないだろうか?
人は、医療が発達し自分が長生きする(だろう)と思って生活している。だからこそ、「ま、いいっか?」っと先延ばしにしてるような行動や計画を立てる方が多いように思う。
今一度、自分の行動を考えてみたい。
人生を楽しむというフィルターを
付けて。
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