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Netflix『私の"初めて"日記』がアツい! 王道なのに革新的でダサくて愛おしい

4月27日に配信されたNetflixの『私の"初めて"日記(Never have I ever)』が、アメリカで人気になっている。そしてめっちゃ、面白かった!

米レビューサイト「Rotten tomatoes」では、トマトメーター(批評家)が96%、オーディエンススコア(一般)が91%と文句なしの高評価だ(2020年5月18日現在)。

■びっくりするほど王道だけど…

主人公は、インド系アメリカ人のデービー。高校1年の時に、父が死に、そのショックからか両足が麻痺して車椅子生活。しかし、恋をして、再び歩けるようになり、「高校2年生こそは…!」と、シヴァやガネーシャ、ラクシュミーなど、ありとあらゆるインドの神様に祈るところから物語は始まる。「Hey! Gods!」と呼びかけるところが、ティーンらしくて可愛い。

デービーは、ヒンドゥー教ながら、小さい頃から肉を貪り食らい、“インド的行事”は、うんざり思っている少女。親友は、同性愛を打ち明けられないファビオラと、女優志望で母親とは別々に暮らすエレノア。好きな男子は、イケてる水泳部のパクストン・ホール・ヨシダで、敵は、頭が良くて金持ちで嫌味な幼馴染のベンだ。母は過保護でウザくて、美人で完璧ないとこと暮らしている。

1:2で仲間割れする未来が見える仲良し3人組、憧れのイケメン(日系なのが今っぽい)、うざい幼馴染、うるさい母親、そして避けられないトラウマ、と、びっくりするほど王道だが、そこに移民的要素が加わり、物語は一気に格を上げる。

■「移民問題」へのポジティブなアプローチ

最近の海外映画は、ルーツとアイデンティティが、一種のトレンドとなっている。中国系アメリカ人の女性が、余命宣告された祖母に会いに中国へ帰る『フェアウェル』(未見)や、パキスタンの血を引くイギリスの高校生が、アメリカのミュージシャン、ブルース・スプリングスティーンに影響を受ける『Blinded by the Light(カセットテープ・ダイアリーズ)』、両親がイスラエル人とパキスタン人で、毎日ケンカが耐えない『Abe』(未見)など、挙げたらキリがないほど、製作されている。Netflixでも最近『タイガーテール -ある家族の記憶-』が公開されたばかりだ。

中でも、同じ青春ものの『Blinded by the Light』は、今よりもっと差別が根強い1980年代のイギリスの片田舎で、主人公のジャベドは、パキスタン人へのヘイトと、保守的な親からの古臭い考え方とで板挟みにされてしまうというヘビーな物語。ギリギリの精神状態の中、アメリカのミュージシャン、ブルース・スプリングスティーン(彼にとっては、親世代の音楽)が唯一の救済となる。時代もルーツも人種もめちゃめちゃだけど、そんな中にアイデンティティを見つける少年の物語だ。疾走感のある音楽が青春を輝かせながらも、辛い描写は、とことん辛い。

一方『私の"初めて"日記』は、ドがつくほどポジティブに、デービーの高校生活をつづる。エマ・ストーンの『easy A(小悪魔はなぜモテる?!)』的な、こじらせティーンの青春物語と似たようなテンションだ。『Blinded by the Light』と異なり彩度はガンガンに上げていて、とにかく湿っぽさがない。

とはいえ、前者のようなあからさまな人種差別はないものの、デービーら3人組「UN(unfuckable nerds:性的魅力のないオタク)」というあだ名をつけられる(本人たちはインテリで人種混合だから「UN(国連)」だと思ってた)などスクールカーストは高くない。また、明るく振る舞うように見せかけて、父の死を消化できていないデービーの心の闇が、ちらりちらりと垣間見える。母はもちろん、保守的でうるさい。

いや、“母はもちろん、保守的でうるさい。”は正しくない。みんな、うるさい。全員とってもよく喋る。その、みんなで生み出す会話のテンポの良さが、移民二世としての悩みや、青春の鬱屈を、ポジティブな方向へ昇華させる。真面目な母がたまに出すインドギャグ(「インド人はみんなセメント製の噴水が好き」)や汚い言葉、デービーのダサ可愛いこじらせ具合、第2話から『ストレンジャー・シングス』(!)のTシャツを着て登場した、こうるさい太っちょエリック、びっくりするほどギリギリなギャグなど、とにかくノンストップで会話が進む。こういう部分は、コメディーの方程式に忠実に当てはめて作られている。

ポップでポジティブな世界をベースに描く、王道青春ラブコメディに、イマドキな移民ティーンエイジャーとしてのスパイスが加わり、新たな化学反応が生まれる。描くべき問題ではあるものの説教臭くなくて、それでいながら王道の安心感があって、さらに、多様性という革新的な設定への興味が、ビンジウォッチングを加速させる。

■劇中のカルチャーの反映もユニーク

さきほど、第2話で『ストレンジャー・シングス』のTシャツを着てエリックが登場すると書いたが、テレビドラマや映画の反映がユニークな点も、本作のいいところ。

デービーがスカートをじょきんと切って登校した日には、ファビオラが、「インド版カーダシアンみたいじゃない!」と褒める(ほんとに褒めてるのかな笑)。

デービーのいとこで同居中のカマラは、隠れた恋人がいながら、時代に合わないお見合い結婚をさせられそうになる。そのとき勇気づけられるのが、『リバーデイル』で親に反抗するデビーだ。初めはアメリカのティーンの自由さに驚く素振りを見せていたものの、カマラはドラマでアメリカを学んでいく。

また、会話の中でも自然とドラマのタイトルが現れる瞬間もある。「友達をプールに突き落としたら、疲れるよね」「違うよ!勝手に落ちたの!」「OK、『ビッグ・リトル・ライズ』」。

主人公はインド系、好きな男の子は日系、親友は中国系、親友の恋人はユダヤ系と、多種多様なルーツが混じる中で、自国のドラマや映画を共通に会話を進めるのは、まさにアメリカという感じ。

『Blinded by the Light』は、先天的な運命に抗い後天的に自分を見つけ出していく映画だったけど、『私の"初めて"日記』は恋と友達と家族と、ときどきインドという割合なのが特徴的だった。

LGBTQムーブメントが起こり、多様性が認められつつある今、LGBTQ映画も周囲との葛藤や差別的な問題を描くフェーズは終わり、女の子になりたがる親の視点から描いた『ジェイクみたいな子』や、美しいトランスジェンダー女子がなんの説明もなく出てくる『ユーフォリア』など視点も角度もアプローチ方法もバラエティに富んできている。

このように、白人や黒人のみならず、アジア人やインド人、ユダヤ人など、ありとあらゆる人種の映画が受け入れられるようになった今、移民映画も、さらなるフェーズに突入しつつあるように思う。しかもLGBTQ映画より、より早いスピードで進化している気がする。

ジョーダン・ピールみたいな黒人ならではの視点のホラーも生まれたことだし、最近"いい話"が多いホラー界に、移民の血を引くクリエイターたちが、新たな視点で恐怖を綴ってくれないかな〜とちょっと期待してみたり…。

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