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バチェラーを素直に楽しめない

最近Podcast「本とかの店 雑談盗み聞き」#雑盗 #zattoh ではバチェラー・ジャパンの最新作、シーズン4の感想を配信しています。

Podcast上では楽しく話していますが、実際のところ僕はこのバチェラーだったり、バチェラー的なるものを、そこまで真正面から楽しめていないんじゃないか?と感じています。バチェラーファン、バチェラー好きの人の話を聞くたびに、自分のバチェラーを観る態度がはっきりしていきます。僕はこの人たちほど、番組に乗れていない。

これまで話題に乗っかるだめだったり、奥さんが見るついでに見てきました。最初に見たのがシーズン3、その次に女性版バチェラーであるバチェロレッテを見ました。番組自体に話題性があり、話しやすいコンテンツだと思います。

つい先日シーズン2を見終わり、現在は配信中のシーズン4をリアルタイムで追いかけています。シーズン1は未視聴。見るきっかけがあれば見るかもしれません。タレントのゆきぽよが世に出るきっかけとなったのが、シーズン1らしいです。シリーズ初回ということもあって、出演者は芸能事務所所属の人ばかりだったとか。

どのシーズンが一番おもしろかったか?

シーズン2、3、4、バチェロレッテと、シリーズのほとんどを見た中で、どれが一番おもしろかったか。こういう問いがあれば、僕は答えられないです。

最初に見たシーズン3は初めてということもあり、どう見たらいいのかよくわからない印象でした。周りではシーズン2が一番好評で、シーズン2を見て「バチェラーは本来こういうものか」という感想をいだきました。見ていて一番しんどかったのはバチェロレッテでした。男性がフォーカスされるという点で、見ている側としてより厳しく感じました。4については、バチェラーがバチェロレッテの出演者だった黄皓さんということで、見る動機として入りやすかったです。

バチェラーシリーズを見ていて、全体的に僕のいだく一番の感想は「しんどい」です。

就職活動のようだ

「しんどい」理由はいくつかあり、まずひとつは就職活動を見ているようなしんどさ。回を追うごとに毎回2人だったり3人が脱落していく。理由ははっきりとしません。残す、選ぶ理由はあっても、落ちる方には明確な理由がないことが多い。これって就職活動と同じ仕組みだなと思います。

正解がはっきりしないところも同じ。選ぶバチェラー側も迷い、悩み、明確な基準があるわけではない。学校の試験とは違い、みんなが一斉に正解のない問題を解かされているようです。足切りがあり、必ず数人が脱落する。こんなに嫌なことはない。選ぶ側としても、選ばれる側としても、僕は参加したいと思えません。

Podcastを一緒に録ったカワムラさんは「司会の坂東さんの立場で参加したい」と言っていました。僕はその気持ちもあまりないかな。見ているだけでしんどいのに、その現場に立ち会うのはよりつらいです。

真剣であればあるほど

「しんどい」理由の2つ目は、バチェラーという番組が、男女の擬似恋愛の体を成しているところにあります。僕自身がもともと、恋愛とか駆け引きとかが大の苦手で、なるべく関わりたくなく、関わってこなかった人生でした。恋愛が苦手が理由は、単純に傷つくから。傷ついて立ち直れないからで、トラウマ、恋愛恐怖症とも言えます。

バチェラーで繰り広げられる恋愛もどきの男女の接近、駆け引きは、茶番と言えるかもしれません。しかし出ている人たち、番組を作っている人たちは、たとえ内容が茶番であったとしても、真剣に取り組んでいる様子が伺えます。番組の構成であったり、演者の言葉選び、感情表現、機転のきかせ方、用意の周到さ、いち視聴者の目線から、すごく頑張ってるなーと思います。だから余計につらい。

自分の苦手なことが、目の前でめちゃくちゃ体を張って繰り広げられている。それが本物の恋愛ではなく、恋愛の体をなした別の何かであっても、見ていてしんどくならないわけがないです。

バチェラーの正しい見方

じゃあ見なければいい。そのとおりだと思います。僕は視聴者として適しておらず、態度としても視聴者の資格がないと思っています。

バチェラーを見てきた人の話を聞いて、このバチェラー正しい見方を知りました。バチェラーの正しい見方とは、応援することだそうです。最初に誰がバチェラーに選ばれるか予想します。予想するにあたり、番組が始まる前は写真やプロフィール動画ぐらいしか材料がありません。当てずっぽうもいいところです。

次に、番組が始まると自分が見定めた人物を応援します。実際に番組内での振る舞いを見て「この人違うな」と思えば別の人を応援し始めてもいいでしょう。エピソードの最後には必ず二人ないし三人が脱落します。どこかの段階で自分が見定めていた人が脱落すると、また別の人を選んで応援します。

そして最後まで誰かを応援します。自分が応援した人がどうなるか、見届けるのがこの番組の趣旨のように思います。選び選ばれる男女の人間模様をただぼんやりと眺めることもできますが、誰か一人、もしくは数人に的を絞って応援するのが、この番組の正しい見方であると知りました。

もしくは、番組の進行を見ながら誰が最後に残るか選ばれるのを予想する、という見方もあります。こちらはまさしく美人投票のような見方であり、自分の個人的な趣味嗜好による判断ではなく、番組内においてそれぞれの人物がどう扱われているかを見ながら、誰が残り誰が落とされるのかを判断していきます。

番組の構成上、毎エピソードごとに注目される人物とされない人物がはっきりしています。その注目のされかたによって、残されるのか落ちるのかを見極めます。こちらは視聴者の予想が当たったり、外れたり、回によって視聴者の期待通りになったり期待を裏切ったり、結果が分かれます。実際は、番組の構成上から結果を予想することは、確実にはできない仕組みになっています。視聴者は番組の手のひらの上で踊らされます。

推しメンを決めて応援する、番組の流れから残る人・落ちる人を予想する、こういう見方がこの番組の正しい見方なんだと思います。僕はどちらの見方もけっこうしんどい。確実に脱落する人がいて、心中穏やかでいられません。

バチェラーの結末

そして、最後まで勝ち抜いた暁には、バチェラーが選んだ女性にプロポーズっぽいことまでします。バチェラー3はいろいろありましたが、1,2については結婚するわけでもなく、その後お別れしたようです。これまでの過程は一体何だったのか。どこまでリアルとフェイクが重なっているのか。それも含めて現実だと思うのか。

失恋につながる恋愛が全て虚しいとは思いませんが、そもそも虚構で始まったショーに出演者が本気でぶつかり、その結果できあがったカップル。彼らは、いざ番組が終わって現実に向き合うと、やっぱり違ったと思って別れる。この過程が全て、僕は虚しいと言うか、つらいと感じます。

好きか嫌いか、楽しめるか否かはともかく、話題に事欠かない番組です。僕にとっては見るのがしんどい番組で、誰かと話す機会でもなければ見なかったでしょう。

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