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【音楽制作note 2022】炭鉱のカナリア ④ “Dilapidated building & Brand new building"

音楽は未来を伝えるカナリアのようなもの。
言葉にすればより響く。
聴かせるに値する音と言葉を目指します。

和田峠の廃墟探訪

先日、諏訪大社へ訪れる際にGoogleマップで調べていたら、長和町と諏訪を往来する有料道路である「新和田トンネル」が今年の4月から無料開放化されることを知りました。
2020年に開放された上田ー松本間の「三才山トンネル」に続き、これでより東信と西信の行き来がしやすくなったなーと思うなか、別ルートである和田峠の旧中山道にある「東餅茶屋跡」というのが目にとまり、ふと調べてみると、なかなか趣き深い場所のようだったため、せっかくだからと行ってきました。

東餅屋跡
案内板

雪に埋もれていて、中の具合は遠目にしか見えませんでしたが、まさに廃れ、打ち果てられたという様相しかありませんでした。
看板に掲げられた名物の力餅も黒曜石も今や昔。
しんと静まり返った山間の場所に放置されているといった状態です。
これで新和田トンネルが無料で通れるようになったらなおこの道を利用する人はほとんどいなくなってしまうでしょうし、この遺構はどんどん自然解体されていく。
地方が抱える問題の極地を見るような、それでいて還っていくだけの自然の摂理のようでもありました。
この付近はそれこそ縄文時代、旧石器時代における人々の営みがあったことを伝える場所ですが、近現代において古の遺構があったことを知っておく価値はどこにあるのかと考えてしまいます。

そんななか、雪深く、音もない現地において去来したのは、
「いつかは何もかも逸してしまう。だからこそ今を大切にしよう」
という想いでした。

廃墟にある「もののあはれ」

タイトルに掲げた"Dilapidated building"ですが、「廃墟」を調べた際に行きあたった英語で、「(かなりひどい状態の)廃墟」を意味するそうです。
英語で「廃墟」があてはまるもっとも用いられる単語は"Ruins"ですが、
他にも、
Derelict building
Abandoned building
Neglected building

など、様相に応じて表現される英語が違うのは興味深いものです。
「廃墟は廃墟だろ」とはならず、その視線の先にあるものを主観で表現しようとするくらい「廃墟」にはなにかある。
そうして翻してみると、人間はわりと過去の遺物に想いをきたしてしまうものというのが窺い知れます。

その想いを表現するに、
日本には「もののあはれ」という美学があり、海外にも通じる価値観でありながら、なんとも日本固有の感覚のようで伝えるには難しい概念です。
平安から鎌倉の歌人、西行においてさえも、

都にて 月をあはれと おもひしは 数よりほかの すさびなりけり
ー都にいた折に、月を“あはれ”と思っていたのは物の数ではない すさび(遊び,暇つぶし)であった

西行 山家集  巻上:秋 旅宿月より

と詠んだくらい、「あはれ」の概念を表現するのは難しいもの。
ただ私の心に去来したものは西行が旅の途中に見た月に感じた気持ちと近しいんじゃないかという気がしています。

こうした侘びた感覚を呼び覚ますものごとに美を見出すのは、多くの人々が感じいるところかと思いますが、かたや最新のものごとにも美があることは確かです。
最近でいえば、長野市の篠ノ井に新規オープンした"Rondinella"は、人々の心を引き寄せる眺望や建築設計、プロダクトがあり、いまの美を体験できる場所として素晴らしいものです。

Rondinellaからの眺望

私はそのかけ離れたもの、いうなれば東洋的なものと西洋的なもの、どちらかに肩入れするのではなく、両方に美を感じ、両方あることの美を表現したい。
仮にそこに格差や善悪などがあったとしても、その是非は問わず、明確にして両方に美をみたい。
果てしない悠久の時を経ていまに在るものと、いまここで生じ未来を感じさせるもの、それらに想いを来たし、表現する。
これは西行のいう「すさび(暇つぶし)」行為の繰り返しかもしれませんが、早いイテレーション(反復)の先にアジャイル開発があるように、極地の往復体験が高みに押し上げてくれる気がします。

その高みとはなにか。
それはそうなったときに表現しましょう。

生きていれば楽しみがある。
そう思えるだけで、人生は快く豊かなものです。

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