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メルマガ3500日継続のコツは「毎日送るという選択しか持たない」

先日より3500日毎日欠かさず書いていたメルマガの書き方を変えた。どう変えたかというと「note」のプラットフォームに一度書き、メルマガに書き直すというやり方に、である。

しかしこれが、実に面倒くさい。ゆえにChatGPTで『メルマガ変換マスター』なるプログラムを作ってみた。しかしうまく機能しない。やっぱり、人間くさい文章を書かせるのは、時期尚早だったのかもしれない。

メルマガ3000回書いても、発信は怖い

少し前に、メルマガで3500回に達した。文章はそれだけ書いているのに、「noteに書いて投稿する」のを、実はビビっている。
理由を考えたら「読者のリアクションがわかるから」であることに気づいた。結局、評価に一喜一憂している。書いた後の評価を想像するから、書こうとする手が動かなくなる。

しかし、考えてみれば、この情報があふれる世の中において、人は他者の行動など、さして気にはしていない。この記事も、流れていく風景の一部のようなもの。忙しく、自分の人生を一生懸命生きている人にとって、自分に関わりがあれば見る、なければ見ない。そんなものである。

「自分がこんなこと書いたらどう思われるだろうか」と発信者は想像する。しかし多くの場合、自意識過剰であることも少なくない。悲観的なわけではなく、人は他者のことを、さほど気にしていない。そして投稿した内容を本人は覚えていても、誰かはそんなに覚えていない(と少なくとも自分は思っている)。

そんな中、書こうか書くまいか悩み立ち止まって、ビビって「考えすぎて足に根が生える(=行動しない)」というのは、滑稽であるとも思える。
しかし、こんな事を思うから、送ることに抵抗感が生まれ、そして結果、続かないわけである。

怖さに囚われないためにどうすればよいか?

では、怖さに囚われず、送り続けるためにどうすればよいか。3000日以上メルマガをやってきて気づいたことがある。それは「毎日送る以外の選択肢しか持たない」ことである。

何だそれ、答えになっていないじゃないか、と思うかもしれない。でも、これしかないと思う。1日は24時間しかない。昔のテレビ番組表のように26時とか無理やり解釈しても、明日はやってくる。

大変な日もある。忙しい日もある。ネタが浮かばない日もある。良い作品じゃなく、しょうもないものも書いてしまう日もある。それを含めて、「毎日送る」と諦めることである。3500日のメルマガも、続けたことは素晴らしいと我ながら思うが、内容から見れば枯れ木も山の賑わいの如し。よいメルマガを書けるときもあるが、そんなに毎度ではない。

「毎日発信する」ことを決めるというのは、身体的な好不調しかり、やる気のあるなしも、全部包含して進み続けることである。やる気にならない日が3日4日と続けば、枯れ木のようなメルマガが連続する。さすれば、読者の登録解除が相次ぐ。でも仕方ない。なぜなら、「毎日発信するという選択肢しかない」からである。

選択肢があるから人は迷う

選択肢があるから人は迷う。1週間に1度送ろうだと「送るor送らない」の選択肢が生まれる。そうすると人は迷う。怖くなる。そして一度送らないという例外が生まれると、例外がいつのまにか常態となる。

逆にそれしか選択肢がない、となれば迷わない。様々な振れ幅がある中でも、「やる」と決め、気分に関係なく1日1回の発信の儀式を行う。その間において「止まらないために動き続ける」のである。

続けることで、その質はともかくとして、インプットとアウトプットは繰り返される。それがどんなに小さな一歩でも、マイナスにはならない。1ミリでも0.1ミリでも、0.01ミリでも積み重ねていることは確かである。それを非効率だというかもしれないが、「続ける習慣を持っている」という事実には勝てない。

続けることは、地味なことである。めんどうくさいことである。
しかし、「毎日送る」という選択のみを持つと決めれば、続けることも不可能ではないと思う。

*毎日続けているメルマガです ↓↓*

<本日の名言>
続けることが大事なのではなく、
「続けられる方法でやるのが大事なのだ」と思っています。
原口證(技術者)



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