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ばーちゃんの葬式から学んだこと

しゅーです。

今日はばーちゃんの葬式だった。

30年糖尿病で、倒れて入院したって聞いた次の日にはもう死んだ。


一瞬すぎて正直、実際にばーちゃんの亡骸を見るまでは現実感がなかった。


初めて人が死んで焼かれるところを目にした。


いずれ死ぬんやったら今日わざわざ自分で死ななくてもいいなって改めて強く思った。


まっとうに生きていれば家族がいずれ葬ってくれるんだから自然の流れに身を任せていけばいいんだろう。

未完全な状態で人生を終えてもいい。

好きな人のことを応援し続けてもいい。

社会的に何も残せなくても子孫や思い出に残ればその人の生きた証になる。

ばーちゃんの葬式で兄の子(乳児)が泣いてて、命の新陳代謝を感じた。


僕を含め家族は間違いなくばーちゃんがこの世に産んだ物の一つだし、そうやって入れ替わっていくんだなーと。


多分、

やりたいことがあるかどうか(自己実現欲求)
社会的に認められているか(承認欲求)

生物として生き続けるか(生存欲求)はあんまり関係ないのよな。

生きてればいいことって必ずある。

感度が鈍って気付いてないだけで。

これは気づくのが得意な人と一緒に過ごすことでどんどん気づくのがうまくなる。

だからそういう人と出会うと割とハッピーに変身できる。

時間かかるけどね。

実は自己実現欲求とか承認欲求って満たされなくても生きていける。

そうは言っても社会の中でうまくやってる人を見ると生きづらいんだけどね。

意外と生きる目的と生きながらえることを混同しがちだから頭で考えると死んでもいいかな、となる。


そういうときに三途の河を渡るかどうかの防波堤になるのは家族なんだなーと思った。

多分そういうきつい時に助けてくれるんは家族だと思う。

家族とか自分のこと気にしてくれる人がいれば、意外と辛くてもなんとかなるもんよね。

長い時間の中でやりたいことあったらやればいい。

なければまた明日一回でも笑えるかな?くらいで一日過ごしてみればいい。

未完成なまま寿命で死んでもいいってばーちゃんから最後に教えてもらった。

未完成なまま寿命で死んでもいいと気づいた

ばーちゃんはすごく偏った歪な性格だった。

好きなものはすごい愛でる。

気に入らないものはとことん嫌う。

口にしちゃいけないようなことも平気で言う。

僕と比べて愛想のない兄弟を平気で母の前で貶すようなばーちゃんだった。

母はもちろんばーちゃんが苦手だったし、兄弟もちょっと距離を置いていた。

好かれる人も嫌われる人もいた。

どちらかというと家では嫌われ者に近かった。

そんなばーちゃんは僕のことがすごく好きだった。

いつも笑顔でしゅーが孫では1番かわいいと言ってた。

確かに僕の前ではいつも笑顔で、困ったときはずっと助けようとしてくれていた。


僕は祖父母の家に親と共に20年住んでいた。

だから実際に小さい時にいっぱい面倒を見てくれたのもばーちゃんだった。

僕は地元にいる間はばーちゃんが好きだったのだけど。

東京に出て距離ができてからは「ばーちゃんはすごい偏りのある歪な性格の人」と認識するようになった。

ばーちゃんは「あんたは頭がいいから勉強しられ(しなさい)」と僕によく言っていた。10年以上言ってたからきっと本心だったんだと思う。

実際には学校の成績はずっと悪かった。

うまくいかない時ほどその言葉は重くのしかかってきた。

実家に帰らなくなった理由の一つでもあるくらいにはそれがずっと苦しくて仕方なかったのだけど。

他の家の子と比較して、兄弟と比較して、片田舎の狭い世間と比較して僕はちょっといい学校に行って学歴もある。

でも東京に行くと掃いて捨てる程度のものでしかないと悟った。

そういった「小さな世間の社会的ものさし」で見てくるばあちゃんに少しだけ嫌な気持ちもあった。

そんなばーちゃんとともに20年を過ごすと「人と比較する癖」がついてしまっていた。

今はだいぶ治ったが、上京後の青年期の僕はそれに随分と苦しめられた。



そんな偏っていて歪なばーちゃんは、そんな性格のままで死んでいった。

火葬前のお経を聴きながら

未完成なまま寿命で死んでもいいだ

と発見があった。

僕はできないことを補おう、としてしまう性格だからすごくそれが救いになった。

好きなものを偏って愛して、できないことがあるまま、歪にそのまま死んでもいい。

そのことに気づかせてくれた。

コロナで実家に1年半帰れず、ばーちゃんに会うこともないまま死んでしまった。

最後に、ずっと育ててくれて愛してくれててありがとうね、と伝えたかった。

けどもう叶いもしないし、思ったところでしょうがない。

実家に帰った時は誰よりも先にニコニコ顔で一番最初に出迎えてくれてたばーちゃん。

ばーちゃん、僕は強い味方を失ったよ。でもずっと覚えてるからね。

じゃあね、ばーちゃん。


しゅー

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