謝れて気分がいい
(日記)
※嬉しかった話ですが、経緯から話すので冗長です。本題まで飛ばす方は、大きい文字になっているところまでスクロールしてください。
父親はひとりっ子育ちムーブが消えないのか、個人主義的社会に染まりきっているのか、単に価値観がバグっているのか、よく分からないことをする。
今日も「俺の明日来ていく服がない」と、自分のぶんの服だけを洗濯機に入れて回そうとした。家族のぶんの、他の洗濯物があるのに。
「早く洗濯機を回さないといけない」と言うが、家で使っている洗濯機は、洗濯物の量で洗濯時間の長さが変わらない。洗剤の量も種類も分かっていない。
訊けばいいのに訊かない。お願いすればいいのにお願いしない。この人間ははバスタオルがないときに「バスタオル取って」すら言えないのだ。「バスタオルが無いよ」と言う。頼み事をしたら負けると思っているのかもしれない。
そんな意味の分からないことをしていたため、「なんで一緒に回さないの?」「頼んでくれたら私がやるのに」など言っていたのだが、次第に会話が鬱陶しくなってきて失言をした。洗濯物を回す本題以外のことで喋ってしまった。
いつもなら売り言葉に買い言葉で喧嘩がヒートアップするのだが、今回はすぐに「今のは失言でした!」と言うことができた。
会話は勝ち負けじゃない
自分は今まで、謝罪イコール負けだと思っていた。相手に勝たねば、自分の主張が間違いになると思い込んでいた。
そうではないと言い聞かせ、今回やっと(半ばやけくその声量であったが)謝罪の言葉を口にすることができた。
謝罪をすると、自分の非を認めることになる。だが自分の非を認めれば、自分は正しいんだと虚勢を張らなくて済む。「間違いもあるが、立て直せる」という経験を積むことは、「間違えることもあるが、成長できる自分」の自信につながる。
謝れて、今とても気分がいい。自分に正直になると、胸を張って生活できるような気がする。
明日も自分に正直に、誠実に。過去の自分に胸を張れるように。
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