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日本に蔓延する「ゼロリスク」信奉、コロナの比じゃない・・・このままでは危ない。チャンスとリスクを天秤に掛けて自分自身で判断しなくちゃ

人間は「チャンス」と「リスク」を秤(はかり)に掛けて判断する。

東京五輪では、選手が国民に感動を与えることがチャンスで、
試合場の選手団や観客から新型コロナウイルスが広がるのがリスクである。

しかし、テレビや新聞はリスクだけを報道し、
秤に掛けるような議論は進まなかった。

結局、時間切れで中止にはならず、IOC(国際オリンピック委員会)に
いいように引き込まれて大会は始まった。
たまたま日本の金メダルが予想以上に多かったから、
JNNの世論調査では「開催してよかった」「どちらかといえばよかった」と
思う人が61%になった。

もしも予想以上に少なかったら、五輪はコロナ第5波の主因として
失敗の烙印を押されていた。

筆者らは、20年近く「失敗学」と称して多くの失敗を分析してきた。
そこで分かったことだが、日本人の中には
感情的な「ゼロリスク」信者が多く存在する。
ゼロリスクは「安心」とも言い換えられる。
安心の達成レベルは人それぞれで異なり、
いくら説明しても絶対に安心できない人もいる。

五輪の失敗は「よくある失敗」

昨年10月、東京大学の筆者のオンライン講義での出来事だが、
招聘した外部講師が「日本人の1年間の死亡者の130万人に比べれば、
これまでのコロナ死亡者数はたかだか1600人だから、
インフルエンザ相当だよね
」と口を滑らせたら、直後にチャットで炎上した。

大学では原発と軍事の議論はタブーだが、それに感染症が加わった。
ゼロリスク信者にとっては、
死亡者は過去も将来もゼロでなければならない。

今年になってもワクチン忌避という形で、
ゼロリスク信者の学生たちが顕在化している。

筆者のような理系人間は、大学入学当初の微積分で
イプシロン-デルタ論法という解析を教わるが、
そこで「ゼロに限りなく近いがゼロではない」という表現を身に付ける。
この表現は「失敗学」では正しく、ゼロリスクはあり得ない。

労働災害を防ぐために「ゼロ災運動」を展開している企業も多いが、
ゼロを業務目標にすると災害が起きても報告しないというズルが横行する。

タイタニック号はunsinkable(沈まない)と絶賛されたが、
技術者は「最大で4水密区画で浸水しても沈没は免れる」としか言っていない。
実際、氷山に衝突して6区画で浸水すると、設計どおりに沈没した。
不沈神話はあり得ない。

「失敗学」では滑った、転んだ、忘れた、遅れたの類を
「つい、うっかり」の失敗と呼ぶが、従業員がそれで失敗しても
会社は倒産しない。

一方で、想定外で発生確率は低いが、起きたら致命的になるという
「まさか」の失敗もある。

東日本大震災の巨大津波で誘発された福島第一原発事故がこの典型例だ。
東京五輪開催で誘発された医療崩壊も、典型例になる可能性が高かった。

自分の論理で判断すること

「まさか」の失敗は類似事例が過去のデータにないので、
グーグル検索でなく、自分の脳で事故のシナリオを想定しないとならない。

福島原発では「外部電源が30分以上喪失することはないと国が決めたから」と
言い訳して、30分後のシナリオを事前に想定しておらず、
この思考停止が損失を拡大した。

何を変革していけばよいのだろうか? 
まずは、自分の脳の中にチャンスとリスクの秤を用意して、
自分の論理で判断することが大事だろう。

くれぐれもワイドショーであおられた話を簡単に信用して、
リスクを過大評価してはいけない。
また、議論した後で面倒になり、「何も変えない」という不作為を
選ぶこともやめるべきである。

「隗(かい)より始めよ」で、身近なことから変革を始めていこう。

東京五輪では国内外の観客がお金を落とさなかったので、
大きな赤字が生まれた。
しかし、これまでにコロナ対策で使った政府予算の43兆円に比べれば、
赤字額は0.9兆円で2%にしかならず、致命的なリスクと見なすのは酷だ。

日本人選手はインタビューで、開催してチャンスの場を与えてくれた
人々に感謝していた。
彼らは国家の名誉ではなく、個人の自己発現を求めて戦ったのである。
秤に掛けたらチャンスのほうが重かったと筆者は思う。
令和の時代は、何事も自分で考えて、自分で人生を切り開く力が
見直されている。
おかしなことは見過ごさずに変えていこう。


目と耳の使い方を変えよう!!

実に、素晴らしいネタ記事だと思うけど・・・内容を
妥当に判断できる読者は少ないと思う

賢明なる読者の皆様はどうだろう??

筆者は大阪生まれ育ちなので京都は隣町で
好きでもあったから公私共々よく散歩した
今いる広島も尾道が観光地として有名で
規模こそ小さいが四季を通じて観光客が絶えることはない

昨今の観光客はガイドブックを手にすることがない
昔は観光客といえばガイドブックを片手にしたが
今日ではスマホだ
なんでも検索できる

総白雉時代はTVのワイドショーから始まってる

昨今の日本人は考えることを放棄した
TVから流れる結論だけど鵜呑みにする
これはネットでも同じことだ
好きな観光地を訪れてもスマホのモデルコースを
見る、その順路に沿った目的地を訪問する
尾道ならラーメンだ
行けば行列があるので無造作に並ぶ
食べるお金を払う・・・その印象もスマホに
載ってる〜同じだと安心する

今の人たちは虚しささえ忘れたのだろうか?

せっかくの時間と資金を使っての休暇すら
スマホに書かれたガイドをたどりガイド通りだと
安心して何が楽しいのだろう

自分の目と耳を使い純白な気持ちを確かめよう
dont think, just feel !!
スターウォーズやブルース・リーの名言である

スマホにはなんでも載ってる
もちろん、現地の地図、各種のお店や観光名所のインフォメーション
当然、各種のタイムテーブルもある
名もない人たちが商売でなく趣味で書くブログも無限大にある
つまり、自分自身でオリジナルなモデルコースなど
スマホひとつで、いつでも、幾通りにも企画できるのだ

これが自分の目と耳を使うことだ!
でも、先入観という既存のイメージに心を奪われてしまいがちだ
だからこそ、dont think, just feel なのだ
スマホを手にしてもいいし・・・現地に到着した時でもいいのだ
自分の心と対話してみよう
真っ白な心で・・・何を感じるか?
自分が感じたことに率直に従ってみよう

スマホは、いつでも支えてくれる!
間違っても、どこの誰だか知らない未知な人の無責任な答えなどを見ずに
自分自身が感じた心に率直に従ってスマホを使うと自分の答えが見るかる








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