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季節は流れて〜散文的なもの。

なんだかんだと、時間が経って、このアカウントをまた見直すと、これ、ほんとに自分が書いたのかなぁと首をひねりたくなる。でも、これも自分の一面の表れなんだろう。

コロナ禍、コロナ禍と言われていたのが嘘のように、ただの風邪扱いになった。あんなに恐れていたのに。

季節は流れた、ただ、引きこもり気味の自分が残っている。いつかこれをやろう、ということがすぐに実行できてないし、続けてきたことを棚上げにして、Twitterを日がな一日見ていたりする。読もうという本はすぐ買ってしまうのに、飽きっぽくて、並行して読むならまだいい方で、床には手付かずの積ん読山の山脈が点々としている。

ただ、最近はとくに女性の書き手や、女性の芸術家に感覚をひらかれている。インプットの時期なのかもと思う。webでも紙でも、まあまあ文字は読める。ただ、自分の言葉がたまってくると、身体もガスがたまったように、右の脇腹が痛くなるので、これからは新しい創作や、執筆もしていきたい。

昨年迎えた庭のミニバラが、また咲いた。水をあげたり、黄色くなった葉をのぞいたりする以外はとくにお世話をしていないのに、年に何度も咲いてくれるのが新鮮な驚きだ。花びらの重なり、コロンとしたかたちが喜びをくれる。隣のミニでないバラは、肥料や土の具合か、つぼみが出ても小さく茶色っぽい花びらになる。思うようにいかないのは植物のご機嫌をどこか損ねているのだろう。調子の悪いときの私みたいだ。でも、機嫌を伺いながら水をあげる。もう少し、バラとの関係は距離をはからなくちゃいけない。焦らず。

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