コッツウォルズの四週間
コッツウォルズの4週間(8-5)
6 第二週末
今日は土曜日、学校のエクスカーションでバースへ行く。八人乗りの車二台を学校のスタッフが運転して、九時に学校を出発。初めて会う生徒もいる。目にやさしい緑の中を車はバースを目指す。バースは文字通り浴室を表すバスの語源になった街だ。イギリス南西部エイボン川に臨む都市で、十八世紀に栄えた温泉地だ。イギリスに住む人々が一番住みたい街だそうだ。駐車場はロイヤルクレッセントの前にあり素晴らしい広大な緑の芝生の横にある。世界史の教科書でも見たことのあるロイヤルクレッセントは、三日月形の曲線が美しい集合住宅で、初めはバカンスでバースを訪れるブルジョア向けの別荘だったそうだが、今は博物館、ホテル、アパートとして利用されている。広々とした丘陵地に芝生が美しく、大きく優雅な建物が良く映えている。
市内を流れるエイボン川は、すごい水量で、高低差がある場所では滝のようだ。多くの観光客と共に橋の上に立ち止まって眺めていると時間の経つのも忘れるほどだ。
次は古代ローマの浴場跡地ローマンバスへ向かう。車の通らない広い道は観光客でいっぱいだ。所々に大道芸人の姿もある。金色の塗料で全身を覆わ
れたスーツ姿の人形が椅子もないのに、腰かけている姿勢でペットボトルの水をコップでもなく地面に注いでいる。突然ギブミーウォーターと声が聞こえた。
振り向けばそれは人形ではなく人間。ペットボトルの水がなくなると、通りがかりの人に声をかけるようだ。びっくりすると同時に楽しくなる。大道芸人は一度やったらやめられないのかも。ローマンバスは、浴場跡地で大浴場跡のグレートバース、浴場を囲む彫像、神殿跡や博物館もある。古代の紳士淑女の服装をした人がパフォーマンスのためにあちこちに立っていて雰囲気を盛り上げている。これも世界史の教科書で見た風景。その昔公衆浴場は社交の場、ビジネスの話もする絶好の場所だったらしい。規模が大きくて日本の浴場とは比べ物にならないし、まるで博物館の中のようだった。古代の人がどんなビジネスの話を裸で湯に浸かりながらやっていたかと想像すると楽しい。
見学が終わるとランチタイムだ。皆でぞろぞろ歩いていると、同じ学校の女性から声をかけられた。彼女の名はジェイン、台湾から勉強に来ているが、英語は得意で、ロンドンへも出張で来たことがあるという腕前。学校でもビジネスクラスに所属している。ランチを一緒にしないかと誘われた。感じの良いこじんまりとしたレストランを見つけ二人掛けのテーブルに着く。周りを見回すと高齢の女性たちが大きなプレートのお肉を注文している。私たちは普段食べるくらいの分量にするため、一皿をシャアすることにした。彼女は台湾で子供のころから英語を学び仕事にも生かしている。日本語は難しいからやっていないが、彼女の兄弟三人はみな日本語ができるとのこと。私は私で中国語は発音が難しいからやっていないと答えた。話は弾んで帰り道、チェルトナムに帰り着いたら、彼女の下宿に寄ることになった。一軒家で広々としている。洗濯機も自由に使ってよく、広い庭もあって庭のテーブルも使ってよいとのこと。また日本人も一人住んでいると連れてきて紹介してくれた。羊が好きでここへやってきたひろみさん。子育てが終わり両親を看取って、ようやくゆっくりしに、この土地へやってきたという。そんな暮らしも良いなと思った。
ジェインは私より先に台湾へ帰国。その後私が帰国した。彼女から英語のメールのやり取りを提案され実行。都合六百通。私の書くスピードも上がれば、語彙も多少増えた。
翌年三月には彼女が従妹を連れて来鹿。その翌年今度は私が友人を連れて台湾へ。交流は続き、五年後日本語を学びに鹿児島の日本語学校に三か月やってきた。その時私もこれはいいチャンスと思い、中国語を学び始めた。その後もテレビ電話で時々一時間話した。半時間ずつ中国語と日本語で。それから五年経ち、私たちの会話は、日本語中国語、そして意味がわからないときは英語となった。もちろん私の中国語はカタコトでうまく通じないことが多いが。彼女がランチに誘ってくれたことで十年後の今がある。不思議なご縁だ。私が友人と台湾を訪れたときは観光はもちろんのこと、彼女の上司や両親兄弟その子供達ともテーブルを囲み親戚のような付き合いになった。
翌日の日曜日は、ブラジル人のマリアとカーディフへ向かった。カーディフはウェールズの首都。ホストファーザーのコリンはウェールズ出身だが、言語は文法も単語も全く違うという。時にはひとつの単語が二つになったりと難しそう。道路標識も英語とウェールズ語の併記なのに、文字の長さも、音節の数も違う。同じ国なのにまるで別の国の言葉という感じだ。
お天気が悪くて暗いイメージのイギリスだが、その日は思い切り天気が良くて気持ちが良い。まずはカーディフ城、周囲を城壁で囲まれている。出迎えたのはギロチンのパフォーマンス。古代の衣装の男性が笑顔で、ここへどうぞと手招きする。マリアがその装置の上に顔を差し出すようにすると、首を挟むように、板が降りてきて、古代の衣装の男性が斧を振り下ろすパフォー
マンスをし、私が写真を撮る。当事を想像すると怖いが、こんな平和な時代だからこそのイベントだ。写真の背景にはちょうどカーディフ城が写っている。写真撮影にうってつけの場所のようだ。お城は登るのに骨が折れるほど
高い所にあり途中は土が崩れているところもある。気を付けて登った。上からはカーディフの町全体が見渡せてよい眺めだ。次は城壁。城壁の中はトンネル状になっていて、昔の道具が展示されていた。看板にsave the potetoes とある。日本で言えば差し詰め戦時中の「ぜいたくは敵だ」に匹敵するだろうか? どこの国でも庶民には苦しい時代、日本では米がなくて稗や粟を食べたし、イギリスでは主食に匹敵するジャガイモを節約したようだ。
その後海側へ移動。どこの国でも日本と同じように路線が多いバスは乗りにくい。二人で時刻表を眺めたり通る人に聞いたりしてようやくたどり着く。澄んだ青空に浮かぶ白い雲、海の青さ、潮の香り、海辺のレストランの前に人だかりがしている。本格的なデュエットが聴こえてきた。近くには観光できる建物やお土産店など見どころもあったが、ここは私の好きな場所。一瞬も離れたくなくて、マリアに、一人で観光をしてきて私はここにいるからと
告げた。このレストランの客寄せらしいが、二人の歌を立て続けに何曲か聴いた。なかなか本格的な声量のある歌声にダンス。見ている人の中にも踊りだす人がいる。とても素敵な時間を過ごしまるで映画の中にいるようだった。
鉄道だけでカーディフまで来る予定が、なんと列車内のアナウンスで、鉄道一部運休のために、途中の駅から駅へはバスに乗り換え、再び列車でカーディフに到着した。イギリスではこの休日の鉄道の運休は従業員の休日確保のために良くあるらしい。
一緒に行ったマリアはブラジルでの受験で難関大学に受かったのでご両親からご褒美に留学をプレゼントされたらしい。車窓から一面の緑の中で草を食む羊を見ながら過ごしているとマリアが本の間からプラスチックのしおりを取り出した。このしおり、実は電子辞書になっていて、軽くて薄くて語彙は限られるが、とても便利なもの、こちらに来てから買ったという。私も翌週早速手に入れた、本を読みながらすぐに調べることができ、文房具好きの私にはいい思い出の品になった。
第二週の週末もチェルトナムから二ヶ所に日帰りで行けて有意義だった。こんな週末を過ごせて、日を追うごとにこのホームステイが仕事や家事から離れて私の人生の最高の暇という気がしてきた。
(この文章は2013年5~6月のコッツウォルズ滞在記です。毎月1回投稿します)
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