見出し画像

感じたことの整理:竹村望

先日1週間と少し滞在をしました。久しぶりの滞在でした。

滞在の目的は当初予定していたものから変わり、一言で言えば西会津の風をもう一度身体で感じ、西会津という場所に対して思っていたことを一度解体し再構築するための滞在となりました。

具体的にやったこととしては、ゼンリンの住宅地図を持参してうろうろする、ということでした。当初は西会津の全戸を回ろうという目標を立てていたのですがそれは適いませんでした。しかし、地図をもってうろうろすることでこれまで見えていなかったいくつかのことが見えました。

①予定調和な場所ではない場所へいくこと

西会津に限らず、ですが、歩いていても、自転車に乗っていても、車に乗っていても、電車に乗っていても、意識しなければ同じようなルートを辿ったり同じような行動をとってしまうことは良くあります。どちらかというと私は意図的にそれを崩すタイプなのですが、西会津においては無意識のうちに似たような場所を通っていたことに気づかされました。

②異物混入をどう捉えるか

「異物」というのは他でもない私のことですが、特に山の中の集落においては、良く分からない人が無目的にうろうろしている、というのは異様な光景です。今回は、色々な要因も重なって、そのことをどう捉えられるか心配な面がありました。確かに訝しい視線は感じたものの、口を開けばお話をしてくださることが多かったです。

③ある場所の変化について

今回行った場所は、山の中の集落もあれば、中心の市街地もありました。その中で、私が6年前から関わっているある場所についての少しの変化を感じました。6年前はその場所は、そこまで自由にできない場所でした。しかし6年を経て、その自由に出来ない要因を自ら取っ払って、変えていこうとする変化を見たような気がしました。

④街の変化について

私が行ったときには、街に同時に複数の店舗が生まれるタイミングでした。外から西会津に来て関わっているのだろうなと思われる人が増え、そのことで同じく外からの一員である私も関われる幅が広がったように感じました。

⑤暮らしの想像力について

今回一番考えさせられたことです。同じ町の中にも色々な境界があり、それらを超えて互いの暮らしを想像することは難しいことなのだ、ということを感じる機会がいくつかありました。例えばある集落では、集落の人にその集落の不便さばかりとらえられがちで、その集落の良さを知るためには他の集落を見てみる、ということをしないと見えてこないので、集落の人に参加してもらうツアーをやろうとしているとのことでした。確かに外から来た人の方がそういうことをやりやすいしやろうとするけれども、自分の町の中では意識しないとそういうことはしないでしょうし、やりづらい部分もあるでしょう。またある街中の人は、集落の暮らしが分からず、それ故に集落の暮らしの必要性もあまり分からない、ということを仰っていました。そういった距離感は、恐らくインターネットで繋がる前も現在も、あまり変わっていない(むしろ遠ざかっているかもしれない)、つまりインターネットを介したやり取りによってのみでは縮められない距離感なのかなということを感じさせられました。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?