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汽車が来るまで


 自分は駅の歩廊のベンチに腰掛けて、汽車が来るまでの間、
小さな本を開いている。汽車が到着したら自分は本を閉じて
乗り込まなければならない。
 ときどき顔を上げて目の前を往来する群衆を眺める。自分
にとっては背景に過ぎないこの人々にもそれぞれの行き先が
あり、それぞれの人生がある。それは背景というにはあまり
に重く切実な存在である。しかし群衆にとっては自分もまた
背景に過ぎない。
 自分は本に目を落とし頁をめくる。あと何頁読み進められ
るだろう。しかしそれはどうでもよいことだ。どの頁で閉じ
てもかまわない。どの行で切れてもかまわない。汽車が着い
たら本を閉じる。それだけのことだ。
 この本の表紙には題名が刻まれていない。不思議な本があ
ったものだ。自分ならなんと名付けようか。それは汽車に揺
られながら考えることにしよう。
 汽車など永遠に来ないかのように自分は頁をめくる。汽車
が着いたら静かに本を閉じる。そして二度と開くことはない。
自分がこの本を読み終えることはない。しかしそれはなんで
もないことだ。人生はかならず途中で終わるもの。
 行き交う人々の流れはすぐ目の前にあって遠い風景のよう
にゆるやかに、なつかしく思われた。




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