言葉を秘した言葉【俳句鑑賞】
雁 や 残 る も の 皆 美 し き 石田波郷
季語は「雁」で秋。北方で繁殖し、秋になると南へ下って
きて越冬する鳥です。秋の深まりとともに飛来する雁は、そ
の哀愁ある鳴き声と相まって、日本人の情緒を捉え、秋の代
表格といってもよい鳥となりました。
掲句は作者が戦争へ出兵する際に詠ったものです。ここに
は戦争への憎しみ、家族や友達との別れの悲しみ、戦地へ赴
く決死の覚悟についてはひとことも触れられていません。思
想も感情も、言いたいことはすべて雁という季語のなかへ封
じ込めています。そうして祖国へ残していくものがみんな美
しく見えるという光景だけを言い留めています。悲しみを秘
して美しさを描いているのが、いっそう悲しみを深めます。
たいへん厳しい句です。その厳しさが、平凡な言葉に緊張感
を与え、ゆたかな表現力を与えています。
「文章の中にある言葉は、辞書の中にあるときよりも美し
さを加えていなければならぬ。」(芥川龍之介「侏儒の言葉」
)になぞらえて言えば、句の中にある言葉は文章の中にある
ときよりもいっそう美しさを加えていなければならないと思
います。俳句という厳しい詩型の、大きな可能性をおもいま
す。波郷の厳格な作句態度がその可能性をおおいに広げまし
た。
波郷は無事に日本へ帰還しましたが、その後の人生は病と
の闘いにあけくれることになります。しかし闘病生活にあっ
ても厳しい創作態度を崩すことはなく、多くの美しい名作を
残して、雁のようにこの世を去っていきました。
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