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夕やけがうつくしい


 わたくしは うちがびんぼうであったので
 がっこうへいっておりません。
 だから じをぜんぜん しりませんでした。
 いま しきじがっきゅうで べんきょうしてかなは
 だいたい おぼえました
 いままで おいしゃへいっても うけつけで
 なまえをかいてもらっていましたが
 ためしに じぶんでかいて ためしてみました。
 かんごふさんが 北代さん とよんでくれたので
 たいへんうれしかった。
 ゆうやけを見ても あまり うつくしいと 思わなかったけれど
 じを おぼえて ほんとうに うつくしいと思うように なりました。
 みちをあるいておっても かんばんに きをつけていて
 ならった じを 見つけると 大へんうれしく 思います
 すうじおぼえたので スーパーや もくよういちへゆくのも
 たのしみになりました
 また りょかんへ行っても へやのばんごうを おぼえたので
 はじも かかなく なりました。
 これから  がんばって もっともっと べんきょうを したいです。
 十年 ながいきをしたいと 思います。

                 四十八年二月二十八日 北代色

 これは、北代 色さんという方の書いた手紙です。
 彼女は子どものとき、貧しさと差別のために学校へかようことができなかったため、読み書きを知らずに育ちました。六十八歳になってから識字学級へかよいはじめ、「いろは」から字を習います。そうして生まれてはじめて書いた文章が、担任の先生へ宛てたこの手紙だそうです。

 “ゆうやけを見ても あまり うつくしいと 思わなかったけれど
  じを おぼえて ほんとうに うつくしいと思うように なりました。”

 私はこの一文を読んで、はっとしました。
 美しいとおもえるのは、美しいという言葉を知っているからなんだな、と。目の前に世界があっても、言葉がなければ、それを自分自身にさえ知らせる術がありません。世界を見ることができるのも、自分の気持ちを知ることができるのも、言葉を持っているからこそです。人間は眼ではなく、言語をつうじて世界を見ているのです。

 北代さんは、「美しい」という言葉は知っていたし使ったこともあるでしょう。けれど字をおぼえることで「ほんとうにうつくしい」と感じはじめた点は興味深い変化です。音声にはできても、字に書けないことで、言葉(感情)の解像度が半減してしまうのでしょうか。

 貧困と差別は、彼女から言葉とともに、美しいという情緒をも奪ったのでした。それは美しさだけではないでしょう。北代さんの長い人生のなかで、言葉にできなかった感情がどれほどあったことでしょうか。「言葉にできない」は、人間にとって大きな苦しみのひとつだとおもいます。

 二千年の西洋哲学史をひっくりかえし、その後の世界の歴史をも運命づけた近代言語学の父、フェルディナン・ド・ソシュールが到達した「言語に先立つ観念はなく、言語が現れる以前は、何一つ明瞭に識別されない」という思想原理を、古希を間近にはじめて「いろは」を習った北代さんのたどたどしい一行がうらづけていることに、私はしずかな興奮をおぼえます。

 美しいことばを知り、美しい世界を見たい。
 美しいことばを生み、美しい世界を作りたい。
 世界はことばでできている、と私は思っています。



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