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処刑前夜


「私わことばや字をならいながら俳句お自分の友だちとおもいべんきょしています。俳句はさびしい私のきもちを一ばんよくしってくれる友だちです。俳句をならったおかげで蠅ともたのしくあそぶことができます。火取虫がぶんぶんと電とうのまわりをとんでいるのも私をなぐさめてくれるとおもうとうれしいです。運動じょの青葉にとまってちゅうちゅうないている雀もやねでくうくうないている鳩もみんな私の友だちです。こないだ山河先生がきれいな花を独房えくばってあるきました。私わあとでなみだがこぼれました。この花も永いあいだ友だちになってなぐさめてくれました。私わ花がかれたとき土の中えうずめてやりたいとおもいますが、ここでわそんなことわできません。……夏になったので友だちがたくさんいるので、うれしいです。……夜わ窓をあけて火取虫をよんでやります。私の友だちわ皆かわいらしいです。」
(神谷美恵子「生きがいについて」より)


 この作文を書いた男は文盲でした。男は大人になってからはじめて言葉をならい、俳句をまなびました。彼の文章から、言葉をおぼえることで自然をいくつしみ小さな虫や花にもこころをよせるやさしい感情の芽生えたことが見て取れます。「夕やけがうつくしい」でも紹介した北代色さんの、
 “ゆうやけを見ても あまり うつくしいと 思わなかったけれど
 じを おぼえて ほんとうに うつくしいと思うように なりました。”
 に通じるものがあります。

 しかし男が蠅や火取虫を友だちだとつづり、一輪の花をもらって涙をこぼしたのは、刑務所の独房でのことでした。彼は死刑囚でした。文中の“山河先生”は、死刑囚に俳句を指導した北山河氏のことです。その体験を記した「処刑前夜」の著書があります。

 作文を読むかぎり、男は死刑に値する罪を犯したとは思えない純粋でやさしいこころの持ちぬしです。おもうに彼は、「花がかれたとき土の中えうずめてやりたい」というやさしいこころを持ちながら、そのこころを顕在化する言葉を持たないことで、悲劇的な人生を歩まざるを得なかったのではないでしょうか。もしも子どものときに言葉を獲得していたら、また別の人生があったかもしれません。犯した罪はつぐなわなければなりませんが、この罪人もまた、めぐまれない運命の犠牲者だったとも言えます。
 このことは、なぜ勉強をしなければならないかという子どもの素朴な問いに、ひとつの考えるよすがをあたえてくれます。
 男が死の数日前に書きのこした俳句があります。

  子の手紙蠅といっしょに読みました。

  絵を描いてみたい気がする夏の空。

  キャラメルで蠅と別れの茶をのんだ。

  つばくろよ鳩よ雀よさようなら。

 言葉とともにゆたかな感性をとりもどした男は、同時に自らの死にたいする恐怖と悲しみをもおおきくしたにちがいありません。




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