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文章を読む速さ


 文章を読む速さを人と比べてみたことがないので、自分が速いのか遅いのかは分かりません。歩く速さや食べる速さとおなじで、およそ速くもなければ遅くもないのでしょう。

 いっとき、速読と言って手品のように素早く文章を読んでしまう技が持てはやされました。あれが本当に読めているのかどうかは分かりませんが、もし自分にも出来たら便利だろうなと思いました。けれど自分は随筆や小説などの文芸作品を読むことが多いので、速ければ速いほど良いという実用的な技には興味が湧きませんでした。

 情報のインプットということであれば、スキャナのごとく紙面を読み取れる速読法も良いでしょう。マニュアル、規約、契約書、企画書の類、それから評論家や審査員のお仕事などにふさわしい技術だと思います。しかし読書人にとって文芸の字面は「情報」ではなく「作品」なので、美術館を走って観覧する人がいないように、またお抹茶を一気飲みする人がいないように、相応の時間をかけて読むのがふさわしいと考えています。

 自分は、口で語るほどの速さで読むのが心地よいです。さらに、文章の一つ一つにはそれに適した読む速度があるのではないかとも思っています。
 速く読めて深く味わえるならそれに越したことはありませんが、田舎の水車のように薄のろな自分の頭では叶いません。蟻の進むがごとく視線が紙の上を這うことになります。
 なにより文芸にあっては散文もまた韻文の一種だと思うので、音楽を早送りで聞く人のいないように、その文体固有の調べを味わいたいものです。

 ちなみに、自分が文章を読むときは頭の中で音声が再生されます。その声は自分の声ではありません。作者の声です。聞いたことのない作者の声が、文章から聞こえてくるのです。
 でもそれは自分が作り上げた架空の声であって、現実の声とはちがいます。作家本人の声を知っていれば、それが生々しく聞こえてくるような文章も少なくありません。言霊というものを意識します。
 実用書面からも声は聞こえてきますが、こちらは自分の声だったり、アナウンサーのような声で再生されます。広告や商品のパッケージ、食品の原材料欄、家計簿の数字には声がありません。

 一冊読むのに視線は何メートル移動するのでしょうか。試しに文庫本の一行に定規を当てると大体12cmあります。一頁は16行ほどだから、200頁の本なら384メートルを移動することになります。
 あなたは時速何キロメートルで読んでいますか。



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