史上最高の歌謡歌手・昭和40年代の青江三奈
史上最高の歌謡歌手
「史上最高の歌謡歌手をあげろ」と問われたら、
「昭和40年代の青江三奈」
と答えます。
上記動画は「伊勢佐木町ブルース」を発売した当時の歌唱ですが、これ難曲なんですよ。カラオケとかで歌ってみるとわかりますが、ものすごく音域が広くて、2オクターブ近くあります。その2オクターブすべてにおいて、声の出し方や音色を様々に変えて曲を作ってるわけで、この時期の青江三奈はほんとスゴいです。
つまり、昭和40年代の青江三奈は史上最高の歌謡歌手であって、類いまれな声質と、それをあますところなく駆使するテクニックで、他の歌手の追随を許さないようなとこがあります。歌手が、日本の歴史上、最も必要とされていた時代において、他の歌手の追随を許さないわけです。
青江三奈の歌唱の技巧
たとえば、普通、曲の盛り上がりは音程の上昇によって作られ、それに伴って歌手の声が高くなったり、大きくなったりすることによって表現されます。曲の盛り上がりは、曲の後半に位置することが多いです。
一方、青江三奈の場合、声質を変化させたり、唸りを使うことによって、音程の低いところでも盛り上がりを作ることができるんです。
つまり、曲の始まりから、いきなり、唐突に、盛り上げることができます。曲のどこの箇所でも高揚させることができるという、独自の技巧で観客をうならせます。
また、銀巴里を経てクラブ歌手として実力をたくわえ、のちに様々なオーディションにことごとく合格したというだけあって、特別な技巧を使わなくても、すごく上手い。
ご本人のもともとの素質に加え、プロデビュー前から花礼二(作曲家)が、恋人を兼ねた名伯楽として歌唱指導したことで、昭和40年代の青江三奈ができあがっているのかもしれません。
ミリオンセラーを連発
彼女は1966年に「恍惚のブルース」でデビュー以来、数年間の間に、青江三奈はミリオンセラーを連発します。
「恍惚のブルース」80万枚
「伊勢佐木町ブルース」100万枚
「長崎ブルース」120万枚
「池袋の夜」150万枚
これらの曲のうち、「伊勢佐木町ブルース」以外の3曲は、青江三奈が歌わなければミリオンセラーにはならなかったように思います。
言い換えれば、曲や詩ではなく、歌手が良かったから、民衆に受け入れられたんじゃないか、と。
実際、歌謡曲好きのわたしでさえ、数年前まで「池袋の夜」や「長崎ブルース」をよく知らなかったんですよ。テレビ番組の「懐かしの歌」とかで歌う人がいなかったんでしょうね。ミリオンセラーなのに、その後歌う人がいないってことは、それだけ難しい、曲の魅力を表現しづらい難曲だってことでしょう。
この動画↓は昭和44年のNHK紅白歌合戦での歌唱ですが、ほんと上手いですね。万華鏡のように様々なテクニックを次々に繰り出して、「池袋の夜」という難曲を見事に歌い上げています。
(動画がYouTubeから削除されてしまったようですので、どこかで探して聞いてみてください。素晴らしいです)
輝きの喪失
そんな青江三奈も、昭和50年代に入ると歌手としての輝きを失います。
残念ながら、女性は加齢と共に著しく声質が変化します。どーしても。その声質の変化に伴う新しい歌唱方法を構築できなかったですね。キーを下げて、昔の歌をなぞってるような歌い方になっちゃいました。
花礼二とはなにか問題があって、その頃別れたそうなんですが、それが影響してるのかもしれません。
競馬の世界では、
「名馬は常にあれど、伯楽はあらず」
と言うそうです。
本稿に即して言えば、歌の上手い人はいつの時代のいつの世の中にもいるが、それを高めてくれるプロデューサーというか、コーチというか、そーゆー人は、なかなかいないんだ、ってことです。
名伯楽を手放したツケが、昭和50年代以降の青江三奈に、歌手としての輝きを失わせたような気がします。