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若いことだけが良いことか

「若い子はいいねぇ」と言われるのが苦手だった。若い頃。

「若さ=良さ」という価値観があって、しかしこれから年を取っていくことが決まっているのにそう言われるのは決まり悪かった。しかも「若い」と言われる今は自分の今までの人生の中で一番年を取っている状態で、とくに若さの実感はない。そして特に今、幸せではない。若い状態が良いのなら、これから人生はもっと悪くなっていくのだろうか。今だって幸せではないのにもっと?

…と思っていたのだが、最近年を取ってきておそらく、分かった。年を取った人が「若いっていいねぇ」と言うのは、自己愛だということが。

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人が「若いっていいねぇ」という時、その言葉には次のどちらかが隠れている。自分が若い頃もそうだったというノスタルジー(ノスタルジーの中では人はだいたい幸せ)、もしくは「自分の今の経験値で若い頃の体力に戻れたらいいなあ」という願望。どちらも考えているのは自分のことで、若い人の置かれた状況やその人の心情に思いを馳せてはいない。

…と言い切ってしまうのも、私が最近「若いっていいねぇ」側の気持ちになることが度々出てきたからだ。今申し上げたのは、世間一般に対する分析というより、私が「若いっていい…」と思う際の心情なのだが、そこまで的外れではないと思う。私が思うのは、若い頃にはもっと歩けたなぁ…とか、徹夜とかできたなぁ…とかの体力面のことです。(まだ私も35なので、運動をすればいいのだけれども…!)

「若いことが良いことだ」というだけの世の中は苦しいと思う。若い時分の衝動には美しいものがあるけれど、人の良さはそれだけではないし。若さは失われていくものだから。

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特に「女の子は若い時が一番いい」と言われるのが苦手だった。本当かなぁと訝しんでいたけど、やっぱりそれは、本当ではなかった。確かに「若い女がいい」と言う人はいるけれど、それはごく一部の人たちで、そもそもそういう人たちは、私の人生には用が無かったのだった。普通に関係性を築ける相手の間では、若いとか年を取っているとか、男とか女とか、日本人とか外国人とか、そういう表面的な属性は後ろに引っ込んで、その人そのものとして付き合うようになっていく。その人そのものの歪さが愛されたり疎まれたりしていく。

「若いっていいねぇ」は、老人の自己愛の中にあるまぼろし。主体的に生きるなら、それに振り回されないでよいと若い頃の自分に言ってやりたい。

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近況
疫病が失わせたものの一つに「出会い頭」がある。出会い頭の運命的な出会いがなくなった。つまり、私は今とても衝動買いに飢えています。うっかり運命と勘違いして要らないものを買いたい。そういうノイズみたいなものが人生には必要なのに、頭で考えると要らないのでは?と思ってしまいがち。緊急事態が解除されてる隙に無駄遣いをしたいと思います!


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