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怒りについて

「怒るべきではない」と人は言う。

多様な価値観がある社会だ。人には人それぞれの正義がある。感情的に怒るべきではない。怒りの声を上げず、優しさで許して、みんなで極端なことは言わずに共存しよう。そういうメッセージを見かけることが多くなった。

本当にそうだろうか。

学級会で、いじめっ子といじめられっ子が話をして、いじめっ子には「いじめたい」と思う価値観を、いじめられっ子には「いじめられたくない」と思う価値観を、それぞれの正義を、認めればみんなで共存できますね。そういうことがあったとしたら、それはフェアだろうか。

「誰の価値観も等しく尊重されうる」という意見は価値相対主義と呼ばれる。価値相対主義は強者側に立たなければ成立しない思想だ。

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難しいのは、強者が強者である自覚がないケースがほんとうにたくさんあることで、強者側の視野から見た価値相対主義は隅から隅まで優しさで覆われている。「ぼくは怒らない。ほかの人の異なる価値観もみとめる。みんながみんなの価値観をだいじにできる社会になればいい。」本人は本気でそう思っている。そういったピュアなフレーズを、 たまに耳にしませんか。

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…大分前のことだけれど、結構ショックを受けていたようで、今でも時々フッと思い出してしまう。お世話になったコンテンツ業界の方が「セクハラした同業者男性を擁護する」記事を出したことがあった。

私は「社会で女の人が置かれている現状*をふまえると、その記事で傷つく人がいますよ」ということを言ったけれど、彼と彼の仲間はきちんと私の怒りを拒否してその記事の価値観を守った。それは彼らにとっては、「多様な価値観を尊重する」ための優しさだった。

「多様性を守る」と言っている企業やコミュニティの上部は、こういう価値相対主義の人々で構成されていることが多いのだろうと思う。cakesのホームレスに関する記事の炎上、soarのセクハラ騒動を見てもそう思う。

(そうではない、ちゃんと知識のある業界人の方々がいることも分かっている。そういう人たちとの関係性を大事にしていきたい。)

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ところで、私は10歳くらいの時、怒る練習をしたことがある。

あなたはどうして怒れるのですか?と人に尋ねられたことがある。怒るべき時でも、とっさに言葉が出てこないのだという。そういう人は多いと思う。私もそうだった。練習したのだ。

子供の頃、親に理不尽な扱いを受けて、でもあまりに理不尽すぎるためにどうしていいか分からない。何も言えず固まっていると相手は去っていって、しばらく後から怒りがこみ上げてくる。そういうことがよくあった。くやしくてくやしくてたまらなかった。

少し時間が経って落ち着いてから、「あのときはつらかった」と言うと、「なに?終わったこと蒸し返して!」と怒られた。落ち着いてから何かを言うのは、だめらしい。

言い返すなら相手が怒鳴った直後の、一秒。そこしか反撃のチャンスはない。相手の理不尽のパターンは似通っているので、夜な夜な反撃のセリフを考えた。

ある日、相手が理不尽なことを言ってきた時、相手が怒鳴り終わった直後の一秒に、反撃のセリフを差し込むことができた。相手は一瞬こちらをしっかりと見た。今までは人形のように扱われていたけど、本当に一瞬だけ、私を意志のある人間として見た。(その後叩かれたのだけど)

その後、関係性が少し変わったように思う。怒られることはあるが、ばかにするような扱いは少なくなった。

自分に感情があって、ひどいことをされたら辛いと感じる感受性もあって、ちゃんと意志を発揮できる能力があるというただそれだけのことが、本気の怒りを見せないと伝わらない。そういうことがあった。

怒っている人は怖いし、見たくないというのもわかる。でも、一様に「怒るべきではない」と言うメッセージを出す前に、切実な怒りをきちんと見極められるといいなと思う。人が怒らないで居られるのはその人の地位のおかげではないのか。人が真剣に怒っているとしたらその裏には、どのような立場の理不尽があるのだろうか。

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追記)私は怒る練習をしたけれど、怒ることができると、相手に暴力を受ける可能性がある(実際、怒鳴り返されるくらいならよくある)。理不尽なことをされて、とっさに反撃ができないというのは悪いことではないから、もし怒れなくても気に病まないでください。大人になったら、時間をおいて改めて抗議する、専門家を味方につけて交渉するなど、冷静な怒り方もとることができる。自尊心が潰されるようなことをされたときに、自分が悪かったのかなと思わないでいられる対処法があるといいと思う。(もっとも、自尊心を潰すようなことをしないで、という話なのだけれども。)


*参考)セクシュアルハラスメント実態について (1)(2)(3)



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