「降りて来る」ということと、のびしろ(6月の活動報告)
今まで、セリフやモノローグのテキスト部分に力を入れて描いてきたけど、マンガって「絵」だよな‥。
と、しみじみ思ってつぶやいてしまった。新しく始まったマンガのwebサイト「SHURO」が良いです。
「商業マンガ難しい、もう商業とかいいわ、べつに自分の作品を出版社が利鞘を稼ぐ道具として利用して欲しい気持ちはまったくないし」
というやさぐれモードに入っていたのだけど、商業で素敵な作品を見ると「かっこいい‥こういうの描きたい‥」とコロっと手のひらを返してしまう。
素晴らしいと思うマンガは(テキストもいいのだけど)絵がいいんだよなぁ。
「イメージが降りて来る」の危うさ
テレビでドリカムの吉田美和さんのインタビューが流れていて、彼女が、「どこかから『降りて来る』ようにメロディーが聞こえてきて、それを作品に起こす(意訳)」のだという話をしていた。
マンガ家の間でも「イメージが降りて来る」という現象を聞くことがあって、頭に浮かんだイメージを、そのままコマに起こす、なんてことをする人がいるらしい。
私も、アイディアを練っているときに、ふわっと頭の中に浮かんだイメージを描き留めておいて、作品に使おうと考えたことがある。
でも、私の場合、これは危ういのだ。
なぜなら、そのとき描き留めたイメージを、少し時間をおいて見返すと、「あ、これ見たことのある作品のワンシーンだ」と分かることがしょっ中あったからである。
何も降りてきていない。ただの記憶を描いていたのだ。
良いモノローグが浮かぶとき
でも、テキストを書き留める時はこうはならない。
私はまずネームの前に登場人物のセリフやモノローグを考えるのだけど、その時の方法は、登場人物の置かれた状況を頭の中に再現して、その時の気持ちを想像し、浮かんできた「頭の中の言葉」をメモ書きする、という方法をとる。
このとき、「感情をうまく言い当てられていて」、「今までほぼ聞いたことがない表現で」、「ほどよく論理破綻していて(説明すぎるとつまらない)」、「韻律が良い言葉」を書けたら「よいセリフ/モノローグだなぁ」と思って残しておくことが多い(前後のコマとの兼ね合いで使わないことも多い)。
こういうプロセスを経て、「感情→言葉」の「0→1」をやると、その表現はどこかから借りてきたものではなくなる。
ということは、絵に関してもやるべきなんじゃないのか?こういう「0→1」を‥。
絵作りののびしろ
私は、マンガを見てマンガを描き始めたので、絵のお手本は絵だったのだ。マンガ記号は素晴らしく、私はたとえ逆立ちしても、吹き出しや集中線や輝く大きなお目目といった表現を発明できないだろう。
でも、そろそろ、記憶の中の記号に頼り切るだけでなく、絵としてもっとおもしろい表現を模索し始める時なのかもしれない‥。きっと私が「すてきだなぁー」と思うマンガを描く人たちは、みんなそれをやっているのと思う。
これはのびしろですね‥。
前説が長くなりましたが、6月の活動報告です!
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