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こころよい異質化(11月の活動報告)

頭の中の言葉を、そのまま文章にすることはできるだろうか?

ところで、私の頭の中は、いつから言葉になったのだろう。思考するとき、頭の中という場(というのか、なんなのか)は音声言語で満ちている。言葉を覚えたのは生まれて数年たってからだから、まったく言語の無い数年があったはずなのだけれど、思い出せないくらいいつも言語で満たされている。

文章を書き始めたとき、この頭の中の言葉をそのまま文字にすることを目指した。でも、目指し始めてすぐにそれは難しいことだと分かった。文字を書くと今度はその文字を頭の中で読み上げてしまうし、読んでいる間は考え事ができない。考え事を思いつくそばからすぐに文字に変換しようとするけれど、文字を書くスピードよりも考え事のスピードの方が速くて追いつかない。

文章を書くのは上手くできないな。

ところで、私は6歳からマンガを描いているのだけど、マンガを描くときはそういう「頭の中が形にならない」苦労を感じたことがない。なぜならそもそも、「頭の中をそのまま出そう」と考えていないからだ。お絵描きをして、かわいい女の子が描けて、じゃあ、この女の子でお話を作ったらどうなるだろうと思って描き始めた。(ちなみに、はじめて描いたマンガは「ひめをすくえ」というタイトルで、救う側の魔法使いの女の子が主人公だった)

マンガでも、頭の中で考えたことが形になっているのは間違いない。でも、頭の中そのままが形になっているのではなく、なんらかの異質化が働いている。頭の中は形を変えて、マンガになっている。その異質化の過程が不快ではないから、マンガ作品を作ることに違和感がないのだと思う。

文章を書くのが不快なのは、その異質化がこころよくないから。
頭の中をそのまま出すのが正しくて、出力して形が変化することをよくないと思っているから。

でも、頭の中がそのまま形になる表現なんて、純粋にありえるのだろうか。頭の中が言葉で、文章も言葉だから同じものだと混同しているけど、体の外に出たら、それは別物だと考えた方がよさそうだ。文章は、異質化のこころよさをとらえることができたら、書くのが楽しくなるかもしれない。

11月の活動報告です!

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