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「謝る」とはなにか

「謝る」とはなんだろうか?

何か悪いことをして、相手が怒っている。怒らせてしまって申し訳ない気持ちはあるのだけど、本当はなんで怒っているのか分からない。相手への申し訳なさで「ごめんなさい」とは言うけど、でもそれは「謝った」ことになるのだろうか。

あるいは、「ごめんなさい」ということで、相手は「許す」ことをせまられる。「ごめんなさい」という言葉は、許しを強要する言葉なのではないか。

「謝る」というのは特殊なコミュニケーションだ。いつどういうときに「きちんと謝った」といえるだろうか。許しの強要が「嘘の謝罪」だとすると、「ほんとうの謝罪」はあるのだろうか?

夫との会話で

先週末、夫と話をしていた。私たちは30代の夫婦である。だんだん、中年と言われる年齢に差し掛かってきて、知らず知らずのうちに年下の人にハラスメントをしていないかとか、不安になるよね!という話題で盛り上がっていた。

「何か相手にとって悪いことをしてしまった時、すぐに謝ると思うけど、そのタイミングでは実は自分がやったことの酷さを心の底からは理解できてないよね。きちんと理解して反省するまでに、どうしても時間差がある。その場合、「謝る」という対応で良いのか、本当に謝ったことにならないのではと思って、違和感がある。」ということを、夫が言った。

たしかに、気持ちはわかる‥。でも反省を示すためには「謝る」以外の対応はやっぱりないんじゃないかなぁ?謝った上で、理解できていない部分については勉強しますと言う。それで本当に勉強する。それ以外ないんじゃないかなぁ、と私は言った。

「たしかにそれしか無いけど‥。それだとやっぱり口先だけの「ごめんなさい」になってしまうよな。

ごめんなさい、反省しているんだから許してあげなさい、はい許しました、ちゃんちゃん。ということを子供の時、いじめられた相手からやられたことがあって、それは子供心に納得がいかなかった。「ごめんなさい」が「許し」の強要になってしまってる。

そうじゃなくて、もっとちゃんと相手に謝ることって、できないんだろうか。」

そして、私たちは「謝る」ことについて考えた。

謝る前に思うこと

まず、自分が過去に「謝りたい」と思った時のことを考えた。相手に酷いことをしてしまって、後からその酷さに気付いた時に、私は何をしただろうか?

あぁやってしまった、でも今更あの話を蒸し返すのは迷惑じゃないだろうか。謝って自分が気持ち良くなりたいだけじゃないのか。自分は、謝らせてもらえるのだろうか。

「ごめんなさい」と言う前に思ったのは、「謝らせていただけますでしょうか?」だった。加害した側からアプローチすること自体、非常におこがましいことなのだ。

被害者と加害者がいる時に、加害者側から何かを求めることはできないのではないか。二人の間のバランスはすでに崩れていて、ここで起こることは究極的には「許す」だけではないのか。ボールは被害者側にある。

謝罪が成立しやすい時

とはいえ、「悪いとは思わずにやってしまった」という複雑なパターンだけではない。お互いが簡単に「それは悪い」と言い切れるようなことなら、「謝罪」は成立しそうだよね、と夫が言った。

「例えば、腕が隣の人にぶつかってしまって、「ごめんなさい!」というくらいの簡単なことだったら、謝罪は成立していると思う。やったことの悪さの度合いを、お互い分かっている状態だったら。」

謝罪が起きる時点で、その前にディスコミニュケーションが起きている。その噛み合わなさをちゃんと噛み合うように戻すのが「謝罪」→「許し」の役割だとするなら、自分のやった悪いことの重さを相手と同じように理解できていたなら、謝罪は成立するのかもしれない。

謝罪の3分類

ここで、私たちは謝罪の分類を考えた。謝罪を「悪さの自覚」「やったことの重さの理解」という観点で、以下の3つに分類した。

1.許しの強要(ゆるしカツアゲ)
やったことを悪いとも思っておらず、その重さも分かっていない。形だけの「ごめんなさい」。許しを強要する目的で行われる、ゆるしのカツアゲである。夫が幼少期やられたのはこれ。

2.無理解謝罪
悪いと思っているが、やったことの重さを分かっていない。これを愚直に文字として表現したのが、企業などが不祥事を起こした時の謝罪文によくある「ご気分を害してしまい申し訳ございませんでした」というお気持ち構文である。

3.謝罪
悪いと思っており、やったことの重さを分かっている。許す権利は被害者の側だけにあるが、謝ることで、相互理解のきっかけになる可能性を秘めているもの。

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ここで当初の話題である「悪いとは思わずにやってしまったことに対してどうするか」を考えてみる。起こってしまった時点ではやったことの重さを分かっているとは言えないため、それは「無理解謝罪」だろう。

しかし、ここで無理解を自覚し、理解していくように努めることで、その後の被害者との関係性の中で「無理解謝罪」を「謝罪」にしていくことができるのではないか。

また、逆にその後のアプローチによっては、「あいつごめんなさいって言ったのに許してくれないなんてなぁ」と、「無理解謝罪」を「ゆるしカツアゲ」にグレードダウンしていくことも可能である。

前述したように、「謝罪」→「許し」という修復のコミュニケーションのイニシアティヴを握っているのは、被害者の側である。もし、被害者が謝罪をさせてくれるなら、その時点で相手の扉はほんの少しだけ開いている。酷いことをしてきた人を、許容してあげられるかもしれないという尊い期待を、ほんの少しだけかけてくれている。もし自分にそのチャンスが与えられた時は、期待に応えられるように努められたらいいなと思う。


お読みいただき、ありがとうございました。本文はここまでです。以下、メンバーさん向けに、実際に夫と話していた時のメモを公開します。メンバーシップも引き続き募集しております。


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夫が「今日の話は良かった!」と言って書いたメモ(「無理解謝罪」って言ってたけど「無自覚謝罪」って書いてるな‥)。その辺の紙に書いたため私の落書き(冷蔵庫)が横にあるカオス。



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