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満たされなさを満たすことは必要ですか

空虚感は常につきまとってきた。
なんとか力をふりしぼり
不器用にがむしゃらに
切符はもっていなかったけれど
自分の生きていたい世界へ行けるよう
見たい世界を見ていられるよう
ここまでやってきた。

他の人からしたら、なにも積み重ねていないように見えるかもしれないけれど
当時のわたしにとっては日々をこなしていっただけでもほめてあげたいような環境。


少しずつ、少しずつ、
過去を精算して
今の自分を認めてあげられるようになって

空虚感はもはや感じる必要がない状況にある今

からっぽだから、感じ取れていたことがある。
からっぽだから入り込めたことがある
からっぽだから反応できたセンサーがある
水っ気のない素材だから、受け取れたほんの少量に対してぐんぐん吸収する。
わたしはそんな、空虚なうつわをここまで育ててこれた。

ずっとこの空白を埋めたくて生きてきた。
けれども、もはや空白であることがわたしのアイデンティティなら、
埋めなくてもいいんじゃない。

自発的な空白を抱えて生きていくことは
そうせざるを得ないこととは全然ちがう。

ぽっかりとほしそうに
大口を開けて水分を欲していたからっぽのうつわは、
自らそっと口を閉じ、柔らかな透明の球体として
周囲の様々な変化をうつしだし、反射し、通過し、
何ものにも染まらない。
誰にも浸食壊すことはできない領域。
これからもずっとわたしの核。

誰も誰も
わたしを閉じ込めることはできない。
わたしはいつだって自由で、
渇望感から、守るものへと変化した宝ものを大事に抱えて生きていく。

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