図書館の司書をしている友人から借りた、絲山秋子著「離陸」を読む。
読後の感想を一言で述べるなら、「ずしり」ときた。
主人公であるサトーサトーが物語の終盤で暮らす街が、いま自分が住んでいるこの辺りであることもあってか、フィクションの中にある見慣れた固有名詞がリアルに目に飛び込んで来て、二日前に本を閉じた後からざわざわと胸騒ぎがして落ち着かない。
そしてこの落ち着かない感じ、何かに似ている。
そう、タイトル通り飛行場で「離陸」を待つ、あの感じに似ているのだ。
あの強烈な重力を振り切って飛び出そうとする、あの感じ。
離陸はいつだって怖い。
着陸できる可能性は100%ではない。
出来れば、地に足をつけ生きていきたい。
知らない場所に行き、知らない人に出会うのは、怖い。
気心の知れた人々に囲まれ、ただただ平穏な毎日を生きたい。
どこに辿り着くやも知れない旅を続けるのは怖い。
もう、どこにも行かなくていいのならそうしたい。
でも、それでも、「離陸」したいのだ。
そのことを、ずしりと突きつけられて、本を閉じた。
「離陸」の準備をしなくちゃならない。
いつかこの世界から離陸する、その時まで、
それは続くのだから。
:
「運命とは、最もふさわしい場所へと、貴方の魂を運ぶのだ。」
Your soul is carried to the most suitable place with destiny.
- Willam Shakespeare
「幸福・不幸」「善・悪」といったところから離れて、
人はみんな「最もふさわしい場所」へと離陸を続けているのだろう。
だから離陸の先に辿り着いたところがどこであろうと、大丈夫なんだよ。
そういう「ゆるし」が、誰のもとにもあることを祈るばかりだ。
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