見出し画像

Mrs. GREEN APPLEは、バイブルであり、ヒーローであり、この世に生きる同志

Mrs. GREEN APPLEは、私にとってバイブルだ。
ミセスの曲は、【本当の愛】を教えてくれる。
彼らは希望を見出すために、絶望を唄う。
永遠がないことを唄い、形あるものはいつか必ず亡くなるという事実を恐れながらも直視することで、今目の前にある小さな幸せに、今を生きていることそれ自体の大切さ、愛おしさ、歩んできた日々の大切さに気づけるようになる。
生きることの尊さを、死というものを見つめることで心の底から感じる。
生きるということ、この世の中のこと、自分自身という存在、愛とは何か、人間とは何か。彼らはどこまでも深く潜り それらの「本質」を見つめ、音楽という形で私達に届けている。
彼らはいつでも、【大切】が何かを見つけるきっかけをくれるのだ。
 
10代の頃のVo.大森元貴さんがいつかのインタビューで言ったように、
Mrs. GREEN APPLEの曲は私にとって「愛を持った刀」そのものだ。
彼らは暗闇に落ちた自分にそっと寄り添ってくれるだけでなく、
時に、優しくそれでいて辛辣に、【大切】に気付くきっかけを、
「愛を持った刀」を、心の奥底に突き刺してくる。
 
私がミセスに出逢ったのは約7年前、音楽番組で彼らのパフォーマンスを観たときだった。一音目が鳴った次の瞬間、スローモーションのように時が動く感覚に陥った。歌声、メロディ、サウンド、エネルギーと煌びやかさを纏ったメンバーの演奏姿。そのすべてに魅了され、驚きのあまり、時が止まったかのような感覚に陥ったのだ。
そして彼らのパフォーマンスを見終えたとき、今までに感じたことのない「使命感」のようなものを感じたことを、今でも昨日のことのように覚えている。「あなたはこのアーティストの曲を聴かなければいけない」と誰かに言われているような、そんな不思議な感覚を、彼らの曲を耳にし、目にして、直感的に感じたのだ。
大袈裟な表現だと笑われたとしても構わない。私は文字通りの感覚を、あの日、あの時、間違いなく感じたのだ。この先何十年生きたとしても後にも先にも感じることの無いと確信が持てるほど、それは独特な、特別な感覚で、自分でも初めて出会う感覚に戸惑ったのを覚えている。
 
彼らのパフォーマンスを見終えてすぐ、私は、その感覚を頼りに彼らの曲を聴き漁った。そして自分の中で新しい曲に出会うたび、あのとき直感的に感じた使命感に心底納得できるような、その感覚が裏付けされていくような、そんな感情を抱いた。なぜならば、曲を聴き漁るたび、曲に出会うたび、彼らの曲は、自分が今まで生きてきた中で気付くことが出来なかった【大切】に気付く沢山のきっかけをくれたからだ。
 

彼らを知ったばかりの頃、曲を聴き漁る中で、あまりにも心の奥底に突き刺さり衝撃を受けた歌詞がある。「ツキマシテハ」という曲だ。 

口から不意に出た言葉で
ヒトは悲しくなってしまうらしい
ただ、心から不意に出た言葉で
幸せも感じられるらしい
幸せに気付いていて欲しい

Mrs. GREEN APPLE「ツキマシテハ」

初めてこの歌詞に触れたとき、あまりにも深く重たく自分自身に突き刺さり、口を開けて呆然としてしまったことを覚えている。それほどに、この曲は、この歌詞は、私をグサグサ突き刺した。
口から不意に出た言葉。この表現はしっくりくる。
口からポロっと出た言葉。心無い言葉。きっとそんな言葉を、自分自身放ってしまっているなと自覚がある。そして無自覚のうちにそんな言葉を以て人を傷つけてしまっている。
衝撃を受けたのはそのあとだ。「心から不意に出た言葉」、この歌詞が、あまりにも衝撃的だった。
心から「不意に」言葉が出る、という表現。きっとそんな風に出た、放たれた言葉はどんなものよりも温かく、愛のあるものなのだろうと思った。だからこそ、そんな言葉を受け取って人は幸せも感じられるのだ、と。
私はそんな「心から不意に出た言葉」を放てているだろうかと、考えさせられた。誰かに向けて放つ言葉を、「口から不意に出た言葉」ではなく「心から不意に出た言葉」で埋め尽くしたいと心の底から思った。
彼らは音楽を通して、私を変えてくれた。「ああきっと私は、彼らが音楽を、曲を、歌詞を通して伝えてくれていることを、与えてくれているものを、受け止めなきゃいけないんだ」と、そう思ったのだ。それこそがきっと、彼らに出逢ったあの瞬間に感じた「使命感」の正体なのだと、自分自身の中で確信した。
 
ミセスの曲は、元貴さんが全ての曲において作詞・作曲を担当している。「僕が作る曲は、どんなにポップなものであっても、すべて僕のSOSであるっていう根本は変わらない」という話を、元貴さん本人がフェーズ1の頃に話していた。彼は敏感な心のアンテナで、誰よりもこの世の中に、人間に、人と人との在り方に、危機感を感じている。だけども同時に、このどうしようもない世の中を 人々を目の前にして、諦めてしまうのでも悲嘆に終わるのでもなく、それでも愛したいと、それでも信じたいと心の底から思っている。そんな彼の強い思いが、命を削り産み落とした音楽となって曲となって、私達の元に届けられている。
そのことを、彼らの音楽に触れる中で痛感するたびに、彼はこの世の中を救いに来た救世主なのではないかと、世の中の、人間の本質に気付いている、このどうしようもない世の中を救ってくれる数限られたヒーローの一人なのではないかと、私は信じて止まない。
そんな人間がこの世の中に存在しているということ、同じ時代に生きているということ、その事実が私を絶望から救ってくれるのだ。彼だけは、彼らだけは、本当にこの世の中を変えてくれるのではないかと、私は本気で信じている。私はこんなにも世の中と、人間と、本気で向き合い対峙している、命を削り音楽という形で世の中に訴えかけている人間を、彼以外に見たことがない。
だからこそ、彼の命をかけた訴えを、その思いを込めた楽曲たちを、
Mrs. GREEN APPLEという存在に出逢ってしまった人間の一人として、
彼の、彼らの思いが心の奥底に届いてしまった人間の一人として、
できる限りの重さで、熱量で、正しく受け取りたいと、受け取ることが使命だと、私は感じている。
 
私を救ってくれる彼を、大切を教えてくれる彼を、時に、まるで神様のような存在だと思ってしまうこともある。だけどそれは、甚だ間違っている。
彼は、誰よりも”人間らしい人間”なのだ。誰よりも、自分の周りに溢れる悲しみや寂しさに気付き、苦しみながらも、この世の中を愛そうとする、
人生を、命を、必死にもがきながら生きようとする、弱さを抱える人間なのだ。だからこそ彼が綴る歌詞は、自分自身を代弁してくれているかのようであり、心の奥深くで共鳴するのだ。
ミセスは私にとって不思議な存在で、私を変えてくれたバイブルであり、救ってくれたヒーローでもある、つまり自分にとってとても偉大な存在ではあるが、”別世界の人”とは思えない。私は、非常に烏滸がましくも、彼らを「この世に生きる同志」だと勝手に、至極勝手に思っている。それは紛れもなく、彼らが自分と同じように、この世の中や人生にもがきながらも必死に生きる生身の人間として曲を産み届けてくれるからだ。
彼らは、リスナーの手を取って救ってくれるが、同時に彼ら自身も手を取ってくれる誰かを切望している。だからこそ私は、彼らに手を取られ、そして彼らの手を取っていたいと思う。一緒にこの世の中を生きていきたいと、少しでもより良い世の中に向かう、そのために生きていたいと、心の底から切望している。
 

私は、間違いなく、Mrs. GREEN APPLEに出逢って人生が変わった。
彼らに出逢って、彼らの曲を聴いて、受け取ったものがあまりに大きくて大切で、言葉にすることが難しくもあるが、
この先も変わらず、彼らが命を削って産み落とした曲を、最大限の熱量と、重さと、愛を持って受け取りたいと心底思っているということを、いつまでも忘れないために、こうして書き綴っておこうと思う。
 
 





どこまでも私の個人的な思いをただただ書き綴っただけの文を、こんなにも長い文を、最後まで読んでくださりありがとうございます。
私がかつて、Mrs. GREEN APPLEに対しての思いを書き綴った何処かの誰かの文章を読んで、「同じように彼らに救われている、彼らの曲と向き合っている人が居るのだ」と思い 救われたように、
この文章が、Mrs. GREEN APPLEが大好きな何処かの誰かにとってもまた、
そのような存在に少しでも、ほんの少しでもなれたら嬉しいなと思っています。
そしてここに書き綴ったのは、本当に、あくまでも私の個人的な思いに過ぎません。ファンの方それぞれが、それぞれの形で彼らの曲と出会い、受け取り、向き合うことができたら、本当に素敵な事だと思っています。

まだまだ書き切れない思いがあるので、今後もミセスに対しての、個人的な思いを、このnoteに書き綴っていけたらと思っています。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?