【アンカーの思い出】(15)有本香氏との出会い
わたしが有本香氏の存在を知ったのは、実は比較的最近である。あれは今から遡ること2年前の2013年5月。その当時、大阪市長の橋下徹氏が「慰安婦」について発言したことが物議を醸していた。しかしテレビから流れてくる情報は「外交的にどんな問題があるか」というような話ばかりで、発言の意味を正面から解説している番組はまるで見当たらなかった。そもそもテレビ自体に期待を持っていたわけでもないので、いつものようにうんざりしていたのだが、ちょうどそんな折、アンカーを見る機会が偶然あった。あれはたしか火曜日で、鈴木哲夫氏の隣に座っていたのが有本香氏だった。ただそのときは初めて見る顔だったし、「この話題は誰がコメントしても、テレビでは大して代わり映えしないだろう」と高をくくっていた。また当時は鈴木氏が火曜日のレギュラーだったこともあり、「堅い話をするのは鈴木氏の役どころだろうから、横にいる人は【望み薄】だな」とすら思っていた。
この判断がとんでもない間違いだということは、直ちに明らかになった。有本氏が「慰安婦」について問題の歴史的経緯をおさらいするような形で解説をしたからである。そしてそれを踏まえて、安直な批判でもなければ擁護でもないコメントが述べられるという慎重な解説だったと記憶している。有本氏が発言を終える頃には、わたしはとにかく感心していた。感心のあまり、その後に続いたであろう鈴木氏のコメントがまったく記憶にないほどである。こうして「有本香」という名前がわたしの中に、ぼんやりとではあるが記憶されることになった。ただ有本氏のアンカーへの出演は当時まだ不定期で、確実に毎週見られるわけではなかった。またわたしはTwitterを始める前だったので、出演情報をあらかじめ入手できる環境も整っていなかった。そのような事情もあり、アンカーで有本氏を見かけることはその後しばらくなかった。
明くる年の1月末、わたしはTwitterにアカウントを作った。これはTwitterへの参入時期としては極めて遅いと言える。この時点ですでにTwitterはSNSとして成熟しきっており、新しくSNSを始めるのであれば他のまだ若いサービスの方が選択肢としておそらく魅力的だったはずである。ただそもそもSNSというものに関心が向かなかったわたしにとっては、Twitterですらも最初は敬遠の対象だった。しかし普及につれてTwitterがほどよい感じに「枯れて」きているように見えた。そこで最初はRSSフィードを読む延長のような気持ちで、Twitterを始めることにしたのである。だから自分から何かを積極的に発信したり、ましてやコミュニケーションする目的で使うことはまったく頭になかった。今でこそいろいろな方からフォローされ、時には会話などもしているが、正直に言ってフォロワーを積極的に増やそうという気持ちは今でもまるでないし、現在の利用状況も当初想像していた形とはまったく異なっている。それはそれで非常に面白くはあるのだが。
さてTwitterで誰をフォローしようかと考えていたとき、わたしはふと有本氏のことを思い出した。ちょうど水曜アンカーの「実況」に興味を持っていたので、そこから連想したのだろう。検索すると有本氏のアカウントはすぐに見つかった。さらに見てみるとアンカーへの出演予定などが告知されていることもわかった。そこでわたしは、まったく軽い気持ちで有本氏をフォローしたのだった。(第16回に続く)
(※この文章は筆者の個人的な回想であり、事実を正確に反映したものであるとは限りません。)