【アンカーの思い出】(16)要約のはじまり

Twitterで有本香氏をフォローしたわたしだったが、当時はアカウントを作ったばかりだったこともあり、方向をまったく決めていなかった。わたしは飽き性なので、三日坊主で終わっていた可能性は十分すぎるほどあっただろう。しかし偶然とは恐ろしいもので、ちょうど方向を模索していた頃、有本氏がアンカーに出演するという情報が流れてきた。そして2014年2月7日、わたしはアンカーを視聴した。有本氏を見るのは約8か月ぶり2度目であったが、その日のコメントはやはり勉強になるものだった。前回が「マグレ当たり」ではなかったことを実感したわたしは「久々にとんでもない人が出てきたかもしれない」と思い始めていた。

このときわたしは、念のため番組を録画していた。そしてこの録画をもとに有本氏のコメントを簡単に要約して、試しにTwitterで公開してみようと考えた。青山繁晴氏が出演する水曜日のアンカーについては、その内容を文字にしてTwitterで公開している人が「実況」を含めてすでに数多く見られたので、その真似事である。同じようなことをしている人がすでにいないか、Twitter上で検索したところ何人か見つかった。その中には水曜日のアンカーを毎週文字に起こしていることで有名なくっくり(TwitterID:boyakuri)氏も含まれており、自分が参入する意味はあるのかと考えたことは事実である。ただくっくり氏の文字起こしは青山繁晴氏の出演番組が中心で、他は余裕に応じて行われていることも、何となく見て取ることができた。また青山氏に比べれば、有本氏はまだそこまで注目されてもいないようだったので、深く考えずにとりあえずやってみればいいかと考え直した。テレビ番組を文字に起こすのは初めてだったが、起こす作業そのものは特に大変ではなかった。ただ最初に作った要約は完全な「習作」で、テンプレートを作るのにずいぶん苦心した記憶がある。結局くっくり氏のやり方を見よう見まねで「丸パクリ」にならない程度に何とか形を整えたのだが、そのテンプレートをわたしは今もそのまま使い続けている。そんなわけで、くっくり氏には大いに感謝しているのである。

そして放送の翌日、完成した要約をTwitterに投稿した。一応公開を前提に作ったものではあったが、当初はコメントの要点を整理した個人用のメモを少し整えて公開する、という感覚で作っており、実験の色合いが強かった。そんなものにハッシュタグをつけて投稿しているあたり、我ながら大胆だと思う。しかしそれがどういうわけか、有本氏の目に触れることになったのだろう。要約の公開から数日後、なんと本人からわたしに感謝の言葉が送られてきたのである。有本氏のフォロワー数を考えれば、向こうから話しかけられることなどないだろうと踏んでいたので、これは完全に想定外だったし、うれしいというよりもむしろ恐縮だった。本人に見られるなら「習作」で投げずに、もう少しまともに作れば良かったと思ったからである。

その後2014年3月までの間に、有本氏はアンカーに2度出演しているが、いずれの回についてもコメントを要約、公開した。最初の「習作」では要約を優先して情報をかなり圧縮していたのだが、ここでは反対に文字起こしに近づけて漏れを少なく、そしてある種「読み物らしく」する方向を目指した。同時に初回は試行錯誤だった工程を、かなり意識的にマニュアル化した。これは作業効率を上げる目的もあったが、どちらかといえば規格化して品質を安定させることに重点を置いていた。この2回で要約の方針は大体固まり、「隔週程度の出演なら、欠かさず要約できるだろう」という目途が立った。その頃には、すでに有本氏からTwitterでフォローされるまでになっており、わたしもできれば継続的に要約をしていきたいと考えるようになっていた。ところがここでまたしても大きな誤算が発生する。翌4月から有本氏が火曜日のアンカーにレギュラー出演することが発表されたのである。これは願ってもないことだったが、同時に今後も不定期出演が続くだろうと予想して段取りを組み立てていたわたしは、内心大いに焦った。毎週なんて自分にできるだろうかと思ったが「とりあえずやってみて無理そうなら投げよう、そもそも義務じゃあるまいし」と開き直ることにした。すると毎月初め、有本氏が長尺の解説をする「ニュースの熱点」はかなりのボリュームだが、それ以外の日はそれほどでもないことが4月のうちに大体判明した。これなら何とかなるかもしれないという感触を得たわたしは、このような経緯で毎週の要約を始めるようになった。

そんなわけで要約を始めた頃の思い出は、どちらかというと苦々しさが勝っている。ただひとつ確かなことは、わたしが要約を始めるまでにはいくつもの偶然が重なっているということである。おそらく何かひとつでも要素が欠けていたら、今のような形はなかっただろう。偶然とは本当に恐ろしいと思う。(第17回に続く)

(※この文章は筆者の個人的な回想であり、事実を正確に反映したものであるとは限りません。)