(11)確定診断~Coffee with bullet

術後2度目の内視鏡検査を終えると、父は明らかに退屈な様子を見せはじめた。好物のコーヒーは口にできるようになった一方で、時間つぶしの方法には飽きが来ていた。父は数独(ナンプレ)というパズルが好きで、中途半端に時間の空いたときに解いていることが多い。家にも数独の本が1冊あり、その本にはまだ手をつけていない問題も残っていたので、病院に持っていくことも考えた。ただ残っている問題は本の最後の方に固まっていて、どれもこれも最高の難度。一日中頭をひねってもマスをひとつ埋められるかどうか、という難度のパズルは時間つぶしどころかストレスになりかねない。胃の回復に悪影響を与えてはいけないからという半ば冗談のような理由で、パズル本の持ち込みは断念した。それ以外のふつうに読む本なども持ち込まなかったので、父は新聞を売店で買うのが毎朝の日課になっていた。

父は病室でテレビをつけている時間が長かった。ところがテレビをずっとつけているのも意外につらい。というのも、食事制限を経験した人でもないと気づきにくいが、テレビは食べ物の出てくる場面が本当に多いのだ。グルメ番組や料理番組だけではなく、情報番組でも突然食べ物が出てきたりするので油断も隙もない。毎食おかゆをすすっている人間に、焼肉だの揚げ物だのスイーツだのの映像は中途半端な飯テロよりもたちがわるい。そう考えると安心して見ていられる番組は、ニュースやスポーツにかぎられてくる。ところがこの時期はあいにくの真冬でスポーツの中継は少ない。そんな中、相撲がちょうど初場所を迎えていた。

わたしも母も、病室へはほぼ毎日顔を出した。見舞いは夕方5時から6時ごろになることが多かった。病室を訪れると、父は決まってテレビで相撲を見ていた。父といっしょに相撲を見て、父が夕食を摂るのを見届けてから帰るのがいつもの流れだった。大相撲の初場所は横綱がふたりとも早々に休場となり、波乱を感じさせた。中日をこえたあたりで平幕力士に1敗がふたりもいるというめずらしい状況になり、平幕優勝の可能性がにわかに現実味を帯びはじめた。途中までは優勝争いにからんでいた大関の貴景勝だったが9日目で正代に敗れ、優勝争いはその正代と徳勝龍にしぼられた。相撲にあまりくわしくないわたしは正代はわかったものの、徳勝龍は知らなかった。徳勝龍は前頭17枚目で、幕内の中で番付は一番下。そんな力士が優勝争いに残るというのは意外も意外で、ついつい気になって見てしまう。わたしがこんなに相撲を真剣に見るのは本当にひさしぶりだった。結局、この初場所では徳勝龍が優勝を決めた。幕尻(幕内で番付が最下位)の力士が優勝するのは貴闘力以来20年ぶりらしい。貴闘力の優勝はおぼろげに記憶があるけどそんなに前だったか、とわたしは不思議な感覚にひたっていた。

そんな日々を送っていたある日の午後、父の病室にN医師がやってきた。病理検査の結果が出たという。別室に呼ばれ父は説明を受けた。

がんはきちんと取り切れていた。リンパへの転移も認められなかった。また悪性度が高いタイプのがんでもなかった。したがって、追加の外科手術は必要なしとの診断。なお、がんの大きさは直径、深さとも1センチに満たない程度。エコーで見た通り、がんは胃壁の一番浅い層にとどまっており、ステージはIとのこと。結論としては今回の胃がんの治療はこれで終わりで、翌日の退院が決まった。

わたしはこの結果を、その日の見舞いに訪れたときに父から聞かされた。知らせを聞いた瞬間、この1か月あまり感じてきた重圧から解き放たれてうれしいという気持ちと、あっけなく解決したこの結果を本当に信じていいのかという気持ちが混ざり合ってうまくことばにならなかった。しかし、いちばん重圧を感じていたのはわたしではなく父なのは疑いようがない。
「よかったね」。
そんなシンプルすぎることばしか出てこないわたしに、父は笑顔を見せてくれた。ふと周囲を見ると、この大部屋のベッドは父の場所以外すべて空きとなり、大部屋なのに貸し切り状態になっている。この病棟は入院期間の短い人のための病室なので、もともと入れかわりは多い。とはいえ、この大部屋が父ひとりだけになるとは予想もしなかった。
「せっかくこの部屋が貸し切りになったのに、明日退院するのはちょっともったいないなあ」。
わたしがそんな軽口を叩くと、父は笑いながら答えた。
「みんな出ていって自分だけ残ったけど、やっと退院できる」。
でも、と父はつけ加えた。
「今日の晩はテレビをイヤホンなしで見る」。
大部屋に笑い声が響いた。