【アンカーの思い出】(12)岡安譲アナウンサー
アンカーでメインキャスターを長年勤めてきたのは「ヤマヒロ」こと山本浩之氏であったが、2013年9月をもって山本氏はアンカーを「卒業」した。そもそも同年4月に山本氏は関テレを退社しフリーアナウンサーになっていたが、アンカーには引き続き出演していた。ただ当初は2014年3月まで出演する契約だったそうなので、「卒業」が半年繰り上げられた形である。そして山本氏に代わってメインキャスターに就任したのが岡安譲アナウンサーだった。岡安氏はそれまでもアンカーでサブ役として出演しており、またサブ役を務めるアナウンサーの中では筆頭格だったから、岡安氏の昇格はまったく自然な成り行きであったと言える。また2014年4月には有本香氏の火曜レギュラー昇格を含む小規模なリニューアルが行われた。そういうわけで、この新たな体制からわずか1年でアンカーが終了したのは意外であった。
結果としてメインキャスターが岡安氏に交代してから、アンカーは1年半で終わってしまったわけであるが、しかし岡安氏の仕事ぶりに何か問題があったようには思えない。それどころか岡安氏の仕事は十分に立派だったと思う。アンカーのコメンテータは青山氏をはじめ、いずれも個性派だったが、その中で岡安氏の質問や話の進め方は的確だった。勉強不足というのは質問ひとつからも露呈してしまうものだから、岡安氏は相当に勉強していたのだと思う。また「ヤマヒロ」という看板アナウンサーが去った後のアンカーを、そしてより大きな話をするならこれからの関西テレビそのものを支えていくことが岡安氏に期待されていたであろうことは想像に難くない。
そういう理由もあってか、岡安氏に交代してからのアンカーはかなり雰囲気が引き締まったように見えた。これはアンカーが報道番組であることを考えればまったく普通のことであるし、また岡安氏の持っている真面目な個性が発揮されることは決して悪いことではなかったはずである。ただ、前任者の存在を考えると岡安氏は「堅くなりすぎた」という部分はあるかもしれない。そもそも山本氏は締めるところではガッチリと締めつつも、遊んでよいところでは遊びを入れられる人であった。第2回でも述べたように山本氏はバラエティも得意としているので、そういう器用な芸当ができたわけである。一方岡安氏は遊んでよい場面でもやや遠慮がちと言うのか、ハジケ切れない部分があったようには思う。岡安氏は関西出身者ではないこともあり、関西らしいノリで遊びを入れるということがそう簡単にはできなかったのかもしれない。その結果、関西ローカルらしくない堅い話題を扱うニュース番組と、関西らしい庶民的な番組との間で保たれてきた絶妙なバランスが、真面目な方向に傾いてしまった部分があるのかもしれない、とわたしは一応分析している。
それだけ「ヤマヒロ」の存在感は大きかったと見えるが、しかし岡安氏もそれを気にせず持ち味を発揮していけばよかったのに、と思う。たとえば岡安氏と言えば「スイーツ」に詳しく、メインキャスターに昇格する前はアンカーでその種の企画を担当していた記憶がある。あるいは岡安氏と言えば競馬実況にも定評がある。そういう持ち味をアンカーで発揮してもよかったと思うのだが、それらは逆に封印されてしまった。これが実に惜しかった。現に岡安氏は去年の3月末、自身のブログで「競馬実況を卒業する」と宣言している。アンカーに専念するために仕方なく、という事情だったようでそれだけアンカーの仕事が大変でもあったのだろう。ただアンカーが終了した今、岡安氏の競馬実況への復帰をわたしとしては強く希望したいところである。
アンカーは終わり、今は「ゆうがたLIVE ワンダー」が放送されている。岡安氏と村西利恵アナウンサーはその番組に引き続き出演している。Twitterを見る限りこの番組について流れてくる意見(おもにアンカーの視聴者層のもの)はあまり芳しくない。しかしまだ始まったばかりの番組でもあるので、わたしの評価は控えることにする。ただ岡安氏には新しい番組で、ご自身のカラーを存分に出していただきたいと思っている。(第13回に続く)
(※この文章は筆者の個人的な回想であり、事実を正確に反映したものであるとは限りません。)