【アンカーの思い出】(8)青山繁晴氏の印象
アンカーのコメンテータの中で、最も有名なのはおそらく青山繁晴氏だろう。実際わたしはこの1年あまりTwitterでアンカーの「実況」に参加してきたが、アンカーについての投稿が一気に増えるのは、大体決まって青山氏の出演する水曜日である。視聴できないはずのエリアからアンカーについてツイートをしていると思しき人も見られ、青山氏の人気が全国的なものであることがうかがえる。しかし正直に告白するが、わたしは青山繁晴氏という人を最初から注目して見ていたわけではなかった。以前にも書いたが、わたしがアンカーの視聴を始めたきっかけは宮崎哲弥氏の「移籍」であり、わたしにとっての主役はあくまで木曜日の宮崎氏だった。だから水曜日もアンカーを見ることはあったものの、たまたまテレビをつけていたら見るという程度だったし、青山氏に対しても特別な印象は感じなかった。
そう書くと驚かれるかもしれない。あれほど強烈な個性が印象に残らぬはずはないからである。ただわたしはニュース番組を見るとき、基本的に話の内容にしか関心がなく、誰が話しているかはさほど興味の対象ではない。たしかに品質の高い(あるいは逆に著しく低い)コメントを一律にするような人には注目するのだが、それはまた別の話である。そして青山氏について言えば、解説はたしかに面白いし、まるで同意できないというわけでもなかったのだが、しかしどうも「引っかかる」ような感覚が毎回あった。具体的に言うと、青山氏の紹介する情報は肝心の部分になるほど青山氏本人の個人的人脈に強く依存するため、視聴者(少なくともわたし)はその情報の確からしさがよくわからないのである。そしてそれを前提に青山氏は例の調子で話を進めていくわけだが、前提になっている情報がよくわからない以上、いくら分析なり提言なりが出されたところでそれらがどの程度妥当かということも判断がつかないのである。もちろん青山氏の人物像を見る限り、ウソを言っているとか、視聴者を騙そうとしているとまでは思わなかった。ただ以上の理由から、わたしが水曜日のアンカーを見るとき、相当割引いて見ていたことは事実である。青山氏の代表的な「持ちネタ」としてメタンハイドレートがあるが、そのような意味でもわたしは青山氏のことを失礼ながら「山師」的な人だと思っていた。
そういうわけで、わたし個人としては青山氏を一部で言われているほど評価していなかった。そんなわたしが評価を改めるきっかけになったのは、東日本大震災とそれに伴って発生した福島第一原発の事故である。事故が発生した当時は、官邸から各報道機関まですべてが混乱しており、数々のデマに代表される不正確な情報がその混乱に拍車をかけていた。そして放射線量や立入禁止区域などの話が盛んに報道されるような状況の中、青山氏はなんと現場である福島第一原発を取材・撮影し、その様子を取材映像を交えつつアンカーで紹介したのである。青山氏はいろいろなテーマについて話をする人なので、一体何が専門なのかわたしはよく理解していなかった(今もあまり理解していない)のだが、原発構内への取材に成功したことをいつものような口頭の説明だけでなく映像と写真で示されて、わたしはとにかく衝撃を受けた。福島第一原発への取材をきっかけに青山氏を知ったという人は少なくないようであるが、ともかくこのときからわたしの青山繁晴氏を見る目は多少なりとも変わった。(第9回に続く)
(※この文章は筆者の個人的な回想であり、事実を正確に反映したものであるとは限りません。)