(9)手術~AM9:00

手術日は朝から慌ただしかった。諸事情により前日に入院できなかったため当日の朝一で入院、午後から手術という予定が組まれた。入院生活に必要な荷物を車に積み、この日も一家でA病院へと向かう。病院の受付で手続きを済ませると、ほどなく担当の看護師が迎えに現れ病室まで案内された。病室はよくある大部屋で、ひとつのベッドを除いてすべて埋まっていた。父のベッドは窓際。南向きの部屋でカーテンが引かれているものの、それでも十分すぎるほどに明るい。荷物をロッカーに入れ父が着替えを終えると、担当の看護師による説明がはじまった。入院計画書の病名の欄には「早期胃癌」と書かれている。数時間後には切り取ってもらうものをいまさらどうこう言う意味はないけれど早期で見つかったのは運がよかった、とあらためて感じる。説明が終わるとさっそく点滴が開始された。切除する部位からの出血をなるべく抑えるためには血を固まりやすくしておかなければならず、手術の開始時間から逆算するともう点滴をはじめる必要があるらしい。

手術は午後1時すぎにはじまった。父は点滴台を引き、看護師に付き添われながら「手術室」まで歩いて移動した。といっても外科手術ではないので手術は本当の手術室ではなく、前回内視鏡検査を受けた1階の部屋で行われる。映画やドラマの「これから手術」という場面では、キャスターつきのベッドに患者が乗せられて移動することが多いせいか、歩いて「手術室」まで移動する父を見ていても、これから手術だという実感がわいてこなかった。

部屋に入る父を見届けたわたしたちは、すこし離れた場所にある長イスに座って待つことにした。手術の行方は気になるし成功を望むのは言うまでもない。一方で、もし内視鏡の手術で不十分と判断された場合は追加の外科手術が必要になることもある、と事前に聞かされていた。その可能性がどのくらいあるかはわからない。とはいえ明らかに成功の見込みが薄い手術をするわけでもない。祈るような気持ちで黙って待つのも息が詰まるので、適当に雑談をする。廊下には外来の診察室がいくつか並び、受診に訪れる人の姿もまだちらほら見える。それなりに人通りがあって静かではない場所だが、わたしたちの緊張をほぐすにはかえって都合がよかった。

胃がんの話になると母は逸見政孝アナウンサーを思い出す。いまどきの若い人は「逸見さん」と言われてもきっと知らないだろう。彼は90年代初頭、フリーアナウンサーとして複数のレギュラー番組を抱え、古舘伊知郎やみのもんたをしのぐほどの人気と実力があった。逸見アナがいまも活躍していたらテレビの世界はまったくちがったものになっていたにちがいない。その彼はある日テレビで記者会見を開いて自身の胃がんを公表し、仕事をすべて休止。そして会見の数か月後に亡くなるという劇的な展開をたどった。その会見の生中継を母は病院のロビーに置かれたテレビで見ていた。健康診断を受けるために病院を訪れていた母は、あまりのタイミングのわるさに困惑したという。母にがんが見つかったことは、幸いにしてこれまで一度もない。以来、このエピソードは笑い話としてわが家で語り継がれてきた。今日もそのときの話で笑ったあと、母は思い出したようにつけ加えた。
「胃がんにはスキルスみたいにこわいのもあるから」。
まさに逸見アナのケースがこのタイプだった。といっても、胃がんの中ではそこまで多いものではない。それにこのタイプのがんはよくあるタイプのものとは性質がまるでちがっていると聞く。「心配しなくても大丈夫じゃないかな。今日取った組織も検査してもらうだろうし」とわたしは返事した。

「それにしても、びっくりしたなあ」。
そんなことばが無意識にわたしの口をついて出た。がんには出やすい家系とそうでない家系があるというけれど、わたしはそうではない家系のはず。実際、父も母も両親はがんになることなく他界しているし、父母どちらの血縁者にもがんの経験者はほぼ見当たらない。そんな固定観念を持っていたわたしにとって、父の胃がんは寝耳に水だった。たしかにがんに遺伝的要因が関わっているのは事実だが、それはあくまでひとつの危険因子でしかない。高齢化がすすみ「がんは2人に1人が生涯に1度は経験する病気」などと言われることを考えると、家系に関係なくだれにでも起こりうる病気だというのが正確なのだろう。事実、2年前には母のいとこががんで亡くなったばかり。母は40代の若さで逝ったこのいとこを思い出しながら言った。
「あんなこともあったから油断してたわけじゃないけど、まさかお父さんが胃がんになるとはね」。
がんの話となると、やはり重たい方向に流れるのはしかたがない。しかし雑談の雰囲気に重さはなく、逆に淡々としていた。

手術がはじまってから2時間が経過した。雑談の内容も世間話のようになり、その話題すらも尽きていた。無理に話題を作るのも苦しいので黙って待っていると「手術室」のドアが開いた。ややあって部屋の中から手術着姿のN医師が現れ、わたしたちは説明を受けた。

○手術は無事に終わり、がんの組織を切除できた
○切り取った部分からの出血はひどくはなく、穿孔もないだろう
○切り取った組織を検査に出して、肉眼で確認できないレベルの取り残しがないかどうかを調べる

どうやら最大の試練は乗り切ったらしい。直後、父がベッドに乗せられて部屋から出てきた。声をかけようとわたしたちが近づくと、父はこちらに顔を向けて微笑んだ。まだ点滴で眠っていると思い込んでいたが、父はすでに目が覚めていた。手術前と変わらない様子の父を見て、わたしは安心した。