(12)節制は続く~Logistical Support
退院の朝がやってきた。病院で朝食を終えた父から電話がかかってきたので、わたしたちは車でA病院へと向かった。病室に入ると父はすでに荷造りを終え、くつろいでいた。しばらくすると担当の看護師が来て、父の手首からバンドを外してくれた。入院中ずっとお世話になったので、看護師にお礼を述べる。N医師にも挨拶したいところだが、あいにく忙しいようだった。父が身支度を終えたところで、わたしたちは病室を出た。父のいなくなった大部屋は、完全な空き部屋になった。
会計窓口で、今回の入院費を支払った。医療費は点数にして約6万点。3割負担だと単純計算で18万円ほどだが、高額療養費制度があるので最終的にはこれよりも低い金額におさまった(この金額は患者の年齢や所得に応じて決まるしくみで、点数が同じでも最終的な負担額は人によって異なる)。
家に帰ると、時刻は正午前。母がさっそく昼食の準備にとりかかる。病院から、1週間程度はおかゆを続け徐々にふだんの食事にもどしていくよう指示が出ていた。ふつうのごはんなら炊飯器でも作れる。ところがおかゆとなると口にする機会すらほとんどない。いきなりおかゆを作れと言われたら、わたしは戸惑うだろう。母は苦もなくおかゆとおかずを作り食卓に並べた。父以外は炊飯器で炊いたごはんを食べた。夕食も父はおかゆ。以前の父はほとんど毎日晩酌で、夕食時に茶碗を使っている姿などまず見なかった。しかしいくら退院したといっても、晩酌はまだまだ禁物。父の食生活は入院前とまったく正反対の、健康的すぎるものに変わった。
父の食事内容については、注意点をまとめた印刷物を病院から渡されていた。香辛料や酸味の強いもの、揚げ物や脂っこいものを控えるのは当然として、ほかにもいくつか注意が書かれている。めん類もよくかまずに飲みこんでしまうと消化によくないという理由で要注意となっていた。そういえば、むかし王貞治氏が胃がんを患って胃を全部取る手術を受け、退院したあとの記者会見でそのような話をしていた。
「ラーメン屋のせがれなのに、ラーメンを食べられない」。
そんなユーモアのある言い方だった記憶がある。この会見もすでに10年以上前のこと。「世界の王」はまだまだご健在で、いまではラーメンでもパスタでも食べられるらしい。一方、父は幸いなことに内視鏡手術で済んだので胃はすべて残っている。回復すればラーメンでも焼肉でもビールでも口にできるようになるだろう。それまで、もうしばらくは節制しなくてはならない。ついでにいえば、父の体重は入院前まで若干太めだったのが、退院するころには体重が健康的なレベルに落ち着いていた。不自然にやせていたら問題だが、このまま健康的な食事を続けるのはそうわるい話でもないだろう。
その後も、父は指示を守って昼と晩におかゆを食べつづけた。朝だけはパンがいいと言うので、食パンを焼かずにカップスープにつけて食べていた。さすがに母も毎食おかゆを作ってはいられないので、まとめて作ったものをタッパーに詰め、必要なときはレンジで温めて食べるよう父に指示していた。おかゆは単体だと味がもの足りないので、父は瓶詰めされた海苔の佃煮や、鮭フレークといった塩気のあるものと一緒に食べていた。そうして1週間がすぎ、そろそろ大丈夫だろうということでごはん食にもどった。
「もうおかゆは飽きた」。
そんなことを言いながら、父はやわらかめに炊かれた白いごはんを口に運んでいた。