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学び続ける力があれば、どんな危機も乗り越えられる! | 海内工業株式会社 海内美和 × COTEN

法人COTEN CREWになってくださった企業の方々への対談連載。
今回は海内工業株式会社代表取締役の海内美和さんです。
夢へ向かって進んでいた中で、家業を継いだ海内さん。しかし、夢を諦めたのではありませんでした。

対談のお相手は同じく法人COTEN CREWでもあるreborn株式会社のハブチンこと羽渕彰博さん。

海内美和(あまうち みわ)
1982 年生まれ。大学卒業後、資産運用会社に入社。リーマンショックを機に、経営立て直しを志し、家業へ入社。営業業務部長を経て、2014 年に3代目に就任。「仕事を待つ」待ち工場から「考え動く」町工場をコンセプトに、精密板金技術を掲載した「板金ガイド」や加工サービスサイト「ロボット板金.com」を開設し、板金の可能性を広げ、新しい取り組みに挑戦。現在、「社会の課題解決や豊かさに貢献するテクノロジーの一助になる」理念を掲げ、技術提案・開発型町工場への変革を進める。

リーマンショックを転機に家業を継ぐ

羽渕彰博(以下、ハブチン):あまちゃんの夢ってなんでしたか?

海内美和(以下、あまちゃん):国連の職員になりたいと思ってました。中学校、高校、大学でアメリカとカナダに留学してて。そんな中、英語で自分の思いを伝えられなかった時に、アジア系の方々に結構良くしてもらったんですね。親身になって支えてくれたけど、日本に帰ると国と国っていう形で、いがみ合っている状況があって。リエゾンって言いましょうか、橋渡しになりたいなって強く思ったんですよね。

ハブチン:分断してるところをちゃんとつないでいく、1つの手段として国連を目標として目指してたんですね。

あまちゃん:国連という夢に向かうために、まず自分の興味があった金融を自らの強みにした上で、国連に挑戦したいなと。そんな大きな夢を抱えながら、そのステップとして大学卒業の後、資産運用会社に入りました。

ハブチン:その後どういうきっかけで家業に入ったんですか?

あまちゃん:リーマンショックがきっかけです。資産運用会社で他の会社さんを見ていると、世界中がかなりまずい状況になるなと。そんな中「ちょっと待ってよ。うちも、会社経営してるよな?」っていうのに気が付きまして。大丈夫かな?と思って父親に聞いてみたら、そもそもリーマンショックのまずさに気が付いていないと。

ハブチン:気付いてなかったんですね。他に継げる人はいなかったんですか?

あまちゃん:私、3人兄弟の末っ子だったんですけど、兄たちが継ぐっていう感じでもなかったんですね。でも、自分が今まで、いろんな夢を持って好きなことをやってこれたのは、工場のおかげなので。自分に何ができるかあまりわかんないんですけど、「なんかできないか?」って。何もできないほうが多いだろうと頭ではわかっていたものの、すべてに目をつぶって、入りましたね。

ハブチン:家業を継ぐと決めた後は、ずっと「夢を我慢している」という感覚だったんでしょうか。

あまちゃん:リーマンショックがあったことで、会社が最悪倒産してしまうかもしれない。国同士のことよりも、1番身近な家族を幸せにするのが先だって思ったんですよね。自分の家族が幸せじゃないのに、国連目指すっておかしいよねって。まずは家族、家族と関わる町工場、その先に国連って、自分のステップになったんです。

自社のあり方を変えていく

ハブチン:ホームページを見ていて思ったんだけど、メーカーや商社からの注文を待つ”待ち工場”からの変化を目指していきたいようですね。

あまちゃん:これは半世紀以上の経営課題なんですけど、1社の大手さんからの注文に依存する体制っていうのがずっと続いてたんですね。「海内工業はこれが得意だからやって」って。当社の価値をわかってくれて、ある程度の仕事を提供してくれるのは幸せだったけど、仕事を待っている状態。戦略的に良かったとも言えるんですけど、私が入社した時点では、1社に頼るのは危険だと感じてました。

ハブチン:危機感があんまりなかったように感じます。

あまちゃん:ニュースを見てると「大手の下請けいじめ」なんて言われますけど、私の前職である金融の視点から見ると、グローバル資本主義ですよね。つまり、海外で使うモノは海外で調達する。これは仕方ないことで、下請けいじめなんて言ってても抜け出せない。構造の問題って捉えないと。

ハブチン:被害者でいても仕方がないですよね。

あまちゃん:そうですよ。構造の問題なんだから、「物作りでやっていきたいのであれば、どうしたいの?」っていう道筋を、おぼろげでも描いて進まないと無理。「大きなことはできないけど、小さなことなら、うちから発信できる!」っていう風に進みたいと思って。

ハブチン:どういうことを、まずはチャレンジしていったのでしょうか。

あまちゃん:「うちの会社は、北極星に向かっている船です」って、たとえをよく言うんです。つまり、会社自身に目指したい方向があり、それに向かうために、会社は日々運営されている。それに賛同して、意識を変えてくれたメンバーや、入ってきたメンバーで再構成し、新たな船出をしました。

COTEN RADIOを聞き始めたきっかけ

ハブチン:COTENをどうやって知って、なぜCOTEN CREWになったのか聞きたいです。

あまちゃん:COTENを知ったきっかけは、今一緒に会社運営をしている、湊がCOTENの大ファンで勧めてくれまして。その頃は私がかなりドタバタしてたけど、昨今は生活に少し余裕が出てきたので聞き始めました。

ハブチン:湊さんの影響なんですね!

あまちゃん:はい、法人COTEN CREWになった背景っていうのは、2つあって。1つ目は素直にCOTENの取り組みに賛同したっていうこと。2つ目は、我々も一緒に会社を経営してる立場なんで、学びを得る場になればいいとして、参画しました。

ハブチン:COTENの取り組みっていうのは、具体的にはどういったものですか?

あまちゃん:深井さんたちが目指し取り組んでいる、ポスト資本主義の実践でですね。私の前職は資産運用会社だったから資本主義ど真ん中で。会社は誰のものか?っていう議論は常々ありました。現在の資本主義においては、やっぱりオーナー、つまり株主を第一に考えざるを得ないのが実情です。持続可能な社会の構築はチャレンジングだと思いますが、そこに向き合おうとするCOTENの姿勢に共感しました。

ハブチン:なるほど。前職の資本主義ごりごりの世界にいたからこそ、そう思えるんでしょうね。

あまちゃん:2つ目に言った「学びを得る場」っていうのは、ぜひいろいろな勉強会等にも参加させていただければと思ったんです。今も会社の方向性を考え示しながら会社運営はしてるんですけれども、率直に言って私たちの解像度はまだまだ低いと思ってるんですね。「我々が学びを深めながら、視野・視座・視点を変えていく必要があるね」って湊と話していて。その学びの一環が湊においては、COTEN RADIOだったんですね。

COTEN RADIOを聞いて思い起こされた、おじいちゃんの言葉

ハブチン:技術系の人って、アウトプットされてきた技術の部分以外に興味があるイメージがあまりなかったけど、あまちゃんは人間とは何か、なぜ生きるのか、といった根本的なことから考えようとしている感じがする。そのユニークさがどこから来ているのか知りたいです。

あまちゃん:私自身の考え方や価値観の基礎っていうのは、基本的にはおじいちゃん由来です。父が職人でほとんどの週末、家にいなかったから、私の喋り相手とか教育係っていうのはずっとおじいちゃんだったんですね。子どもの時からずっと覚えてる言葉の1つに「人間最後に残るのは教養だよ」って言われてたんですよ。当時は「しっかり勉強して知識をつけてね」って意味だと思ってたんですよ。けど、今になって思うに、教養って知識ではなく、学び続ける力そのものだと思うんですね。

ハブチン:素晴らしいです!

あまちゃん:もしすべてを失ってしまったとしても、学ぶ力さえあればゼロからでもやり直していけると。COTEN RADIOを聞いているうちにピンときて、たぶんそういうことなのかなって。祖父にはそんな風には言われてないので、自分なりの解釈ですけどね。
ハブチン:リーマンショックのような危機があっても、学び続ける力、捉え直す力があれば乗り越えられると、おじいちゃんが教えてくれてたんですね!


この記事を書いた人:なるめろん(Twitter: @narumeron_1212)

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