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料理文化が広がる根っこを作る | 一文字厨器株式会社 田中諒 × COTEN

株式会社COTENの挑戦を応援してくださる、法人COTEN CREW企業の皆様をご紹介します。
COTENを通じて人文知に投資することを決めた彼ら。
日頃、どのような問題意識を持って活動されているのでしょうか。

今回は一文字厨器株式会社の田中諒さんです。

※COTENのフラットな空気感をお伝えするため、今回のインタビューはニックネームで実施し、記事もそのままお届けします。

田中諒(たなか・りょう)
1985年生まれ。包丁ブランド堺一文字光秀三代目当主。
電通グループである株式会社サイバー・コミュニケーションズにて営業として従事した後、2016年、家業である一文字厨器に入社、2022年代表取締役就任。商品企画や、WEB戦略、リブランディングやDXを進め2023年より、70周年を記念し「日本の食文化と向き合い、興す」ことにフォーカスしたプロジェクト、一十一(いちとい)に着手する。

包丁は料理人の「相棒」

COTENインタビュアー(以下、ーー):まずは事業内容を教えてください。

田中諒さん(以下、たなりょう):うちは一文字厨器株式会社といいまして、大阪の難波の道具屋筋という商店街で包丁屋を営んでいます。祖父が立ち上げた会社で70年間続いていますね。
包丁はミクロの世界。ミリ以下の単位で、切れるか切れないかってのが決まります。堺ではその切れ味のほとんどをフリーハンドで作っていくんですよね。

ーーなるほど、オーダーメイドに近いんですね。

たなりょう:そうですね、一気に100本とか1000本とかは作れないです。

ーー販売といっても単に物を作って売るっていうより、お客さんのニーズを聞いて一緒に作っていく感じなんですね。

たなりょう:はい、あとは売ってからですよね。使い方のサポートとかに割と重きを置いています。最初はもちろん切れ味がいいんですけど、やっぱり使っていたら、だんだん切れ味が落ちてくるんです。それを研ぎ直したら一生使えるっていうのが日本の包丁のいいところですね。うちの強みは、買っていただいた包丁がお客様にとってずっと相棒になれるようなサポートができる部分です。

ーー1回買って終わりっていうわけじゃなくて、その後関係性が続いていくんですね。

たなりょう:家庭用とかだと一生使えるように。何だったら次の代に、その包丁を渡すケースもあります。その人のアイデンティティになるような包丁を選んでもらって大事に使ってもらえれば、よりその人にとって良い相棒になると思うという話はお客様によくしますね。

ーーすごい、繋がっていく包丁ということですね。

事業継承のきっかけは祖父の死

ーー先代はどのような経緯で会社を立ち上げられたんでしょうか。

たなりょう:祖父は、終戦後1年以内に両親を相次いで亡くしてしまったんですね。当時祖父はまだ18歳とかで。弟もいるのでなんとか働かなきゃいけない。そんな中、知り合いづてで繋がった川西厨房さんで働くことになり、その中で包丁に興味を持ち、独立する流れになったそうです。

ーーへえ。

たなりょう:工場に包丁作りを学びに行ったら、ありえないぐらいその切れ味にこだわっていたっていうのがすごい印象的だったみたいで。当時厨房機器屋さんは商店街内にたくさんにあったんですけど、包丁に特化したところがなかったみたいです。そんな中で立ち上げたのがうちのお店ですね。

ーー包丁づくりに興味を持ったっていうのが面白いですね。たなりょうさんが代表になられたのはいつごろなんですか。

たなりょう:2016年に会社に入り、昨年代表になりました。

ーーそれまでは何をされてたんですか?

たなりょう:それまでは電通グループで、サイバーコミュニケーションズっていう会社で働いていました。

ーーえぇ、包丁と全然関係ない!(笑)

たなりょう:ですね(笑)。でも実は、包丁屋を継ぐことは高校生のときに決めていました。これからの世の中がわかるような仕事をまずは精一杯働いてから戻ってこようっていうのは思ってたので。だから大学卒業した後に受けたところも、割とテクノロジー関係とか広告関係のところが多かったです。

ーーへえ。高校生のときに決断するのは随分早いですね。

たなりょう:はい、高校2年生の時におじいちゃんが亡くなったんですね。祖父はすごい事業家で包丁業界では有名な人だったんですけど、僕にとってはただの甘いおじいちゃんで、すごく優しい人でした。そんな祖父が17歳の時に亡くなって。それまではミュージシャンになりたいと思ってたんですけど、そこで気持ちが大きく変化しました。

ーーええ、ミュージシャン!意外です。

たなりょう:ですよね(笑)。
僕にとっては、命がなくなるってことに直面した初めての経験で、放心状態になってたんですけど、一旦お葬式が終わって、お店に戻ってきたんですね。そしたら、なんかすごい不思議な感じだったんですけど、おじいちゃんがまだいる気がしたんですよ。

お店の中でおじいちゃんが見繕ってきた包丁やおじいちゃんが作ったロゴ、おじいちゃんを慕ってきたお客さんが「この包丁いいわ」とかって言ってくれたり、社員さんがみんなすごい仕事をしてたり。そういうのを見て、何かそのとき「人って死なへんねんな」と感じたというか。

僕はそれを引き継いでいけるチャンスがあるのに、引き継がへんのはもったいないなと思って。そっからは。もういつかおじいちゃんの会社を継ぐんだっていう気持ちでずっとやってきました。「その思いを繋ぐ」みたいな。

料理文化が広がる根っこを作る

ーーたなりょうさんは3代目ということですが、今後の事業の展望などは何かありますか?

たなりょう:包丁作りはもちろんなんですけど、料理をしたい、包丁が使いたいって思うようなきっかけづくりをしていきたいです。やっぱり食文化を作ってきた商店街やし、関西の食文化を支えてきた包丁屋っていう自負があるので、それをやり続けることで、料理文化自体が広がる根っこみたいなところを作っていきたいっていうイメージですね。

ーーなるほど。ただ包丁を売るだけじゃなくてその文化を繋いだり、日本の和食だったり、食文化をちゃんと支えることがビジョンなんですね。

たなりょう:はい、今はほとんどの方が包丁を研がないんですよね。安い包丁を買って毎回捨てて新しいのを買い直すよりは、一生使える包丁を大事に使っていった方が、豊かな食生活になるかもしれませんよっていうのを、研ぎと一緒に文化として広めていきたいんです。

そうやっていろんな方々を巻き込んでいったら、日本の食文化を新たに産んでいけるんじゃないかなと思ってます。

ーー包丁がベースにはなるんですけど、包丁にある種とらわれない挑戦もされてるんですね。今後の展開が楽しみです。今日はありがとうございました。
たなりょう:ありがとうございました。

(編集:株式会社COTEN 内山千咲/ライター:丸岡愛美)


ここまでお読みいただきありがとうございました!

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