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仕事は「誰とやるか」が全て | 株式会社小川欽也 小川欽也 × COTEN

法人COTEN CREWになってくださった企業の方々への対談連載。今回は株式会社小川欽也の代表取締役の小川欽也さんです。
映像制作の仕事を続けることで見えてきたことは何だったのでしょうか。今もなお原動力となっている経験が大きく影響しているそうです。

対談のお相手は同じく法人COTEN CREWでもあるreborn株式会社のハブチンこと羽渕彰博さん。
法人COTEN CREWのコミュニティは、敬語を使わず「タメ語」で話すのが通例。その空気感をお伝えするため、記事内も「タメ語」のままお送りします。

小川欽也(おがわ・きんや)
株式会社小川欽也(ogawakinya inc.) 代表・映像ディレクター
1980年生まれ。専門学校、映像制作プロダクションを経てフリーランス、2015年法人成り。クライアントワークを軸に、イベント・コンサート映像、VP、MV、CMまで広告映像制作全般を請負う。常にプレイヤーでありながら一貫した制作環境を整える。
京都の田舎で、おとこの子3人の父親としても奮闘中。田舎に住む子どもたちの可能性を感じながら、自身のクリエイティブを活かせる教育の場を模索中。

とにかく映像業界で仕事を続けようと決めた

羽渕彰博  (以下、ハブチン):まず社名がおもしろいよね。株式会社に自分の名前を入れてるんだ。

小川欽也  (以下、欽ちゃん) :社名からは何の会社か分からないよね(笑)。広告業界で映像に特化した仕事をやっているんだ。他にもいろいろな名前を考えてたんやけど。生きてきた中でずっと自分にあるものは名前だけだなーと思って。最終的に名前にしたら潔いし、全部自分で責任が持てるなって。

ハブチン :かっこいい!責任を持つために社名を自分の名前にしたんだ。映像ディレクターを目指したのはいつなの?

欽ちゃん :この業界に入ったのは、高校卒業後に4年ほどフリーターをやってからなんだ。僕らの世代ってフリーターがすごく流行っていて、僕も在学中からフリーターになるって決めていたんだ。飲食店やパチンコ店、倉庫の仕事とか全部で30個くらいを渡り歩いたよ。
フリーターの時はめっちゃ遊んでた。お金はなかったけど焦りや不安もなくて、とにかく楽しかったよ。でも、周りの友達が大学を卒業して就職したタイミングでちょっと焦り始めたんだよね。

ハブチン :フリーターとして働き続けることに焦りを感じたんだね。

欽ちゃん :そう。そこでこの先何かを作りだす環境っていうのを目指したいなって考えたんだけど、友達のある一言が一生の仕事を見つけるきっかけになったんだ。

ハブチン :どんなひと言だったの?

欽ちゃん :「欽ちゃんがクリエイティブ系の学校に行ってくれたら嬉しい。」って言ってくれたこと。小学生の頃、絵を描くのが好きで上手かったみたいなイメージを友達がずっと持っていてくれて。クリエイティブ系の専門学校に行って3DCGを学んだところから、20年近く映像の仕事を続けてる。

ハブチン :友達のひと言がきっかけだったんだね。

欽ちゃん :とにかく続けようって最初に決めたんだ。フリーターの時は長くてもひとつの所に1、2年しかいなかったけど。映像の仕事は自分で「続ける」って決めたから、しんどいことがあってもやってこれたんだと思う。もちろん、もともと何かを作るのが好きで、喜んでくれる人がいるっていうのも続けられた理由だけど。

ハブチン :続けようって自分で決めたことが始まりなんだね。

「人」と仕事をすると決め、独立!

欽ちゃん :専門学校卒業後に就職した映像制作プロダクションで、ファッションショーの神戸コレクションに関わったんだよね。そこで一生忘れられない出来事があった。

ハブチン :どんな出来事があったの?

欽ちゃん :当時は、家に全然帰られへん日が続いて基本は徹夜で気づいたら寝てる、みたいな。めっちゃしんどかったんだけど、そういうのが普通やと思ってたね。で、いよいよファッションショーの本番が始まって大きなスクリーンに初めて自分が作った映像が流れた時、めちゃくちゃ感動した。あの光景はずっと忘れられないし、今でも原動力になっているよ。

ハブチン :それは感動するね!

欽ちゃん :「会場でめっちゃ泣いたるねん!」って思っていたんだけど、実際は感動と嬉しさの中で、必死に涙をこらえてた(笑)。自分が作った映像が流れるたびに涙が溢れそうになるんだけど、泣くのが恥ずかしくてグッと最後まで耐えてしまった(笑)。

ハブチン :泣くって決めていたのに、堪えてしまったんだ(笑)。

欽ちゃん :あと、その時期に、唯一の上司だった映像ディレクター兼プロデューサーから色々な部分で影響を受けたね。一緒に仕事をすると楽しいって大勢の人に言われる上司で、スタッフを大事にするってことを教わった。僕にとっての師匠だよ。だから僕は独立する時に、「人」と仕事をすることを大きく掲げたんだ。

ハブチン :素敵だな、人を大切にするって。欽ちゃんにとって独立は大きな決断だったのかな?

欽ちゃん :そうだね。2013年に独立したんだけど、辞めること自体、辞める1年前には上司に伝えてて。ところが伝えた1週間後に、新たに入籍前の妻の妊娠がわかったんだよね。ありがたいことに、会社に残ったらとも言ってもらったんだけど、それでも辞めるって決断したんだ。子供が生まれてからではやめられへんな、と思ったしね。

ハブチン :子供が生まれるタイミングで大きな決断をして独立したんだね。

徹夜の無いクリエイティブ業界へ

欽ちゃん :独立して思うことは、自分がやってきた苦労とか経験って他のみんなはやらなくていいってこと。次の日の朝までに仕上げなあかん時で、自分の力を発揮できるなら徹夜もしていいんだけど、個人的には徹夜は絶対しなくていいし、しない方がいいと思ってる。
自分の子どもだったり、僕についてきてくれる人がいたら、「もっと効率よく、うまくやっていこうよ。」って伝えていきたい。自分の経験は決して無駄じゃなかったけどね。

ハブチン :確かに、徹夜はしない方がいいよね。

欽ちゃん :京都の田舎に移住して自宅で仕事をしているんだけど、ここに住む子どもたちを見ていると、田舎に住んでるだけで特権だなってすごく思うんだ。いい人間関係と大自然に囲まれていてね。この先ここで子どもたちとクリエイティブに考える場を作りたいなと思ってる。

ハブチン :大自然の中でクリエイティブに考える場を作りたいんだ。

欽ちゃん :今は誰でも簡単に映像が撮れるし、編集できるし、YouTubeにアップもできる。だからこそ作る目的や意味、考え方のプロセスが大事なんだよって。考え方や見る視点が増えると映像の撮り方もめちゃくちゃ選択肢が増えるしね。

ハブチン :いいね。子どもたちに映像制作を広い視点で伝えたいって。
映像業界にいる欽ちゃんからCOTEN RADIOを見るとどう?

欽ちゃん :まず法人COTEN CREWになったのは、めちゃくちゃ恩恵を受けていることへのお礼なんだ。もともとは個人サポーターで純粋に応援したくて千円払っていたところから途中で一気に1万円にしたりして。
妻が3人目を妊娠してて、自分が家事をめっちゃやってた時は、洗濯物を畳みながらよくCOTEN RADIOを聞いていたよ、吉田松陰の話とか(笑)。

ハブチン :家事をやりながらCOTEN RADIOを聞いていたんだ(笑)。

欽ちゃん :COTEN RADIOは、実は音声の質がめちゃくちゃいい。Podcastの中でピカイチだなって思うよ!音を知っている人が作ってるってわかるし、YouTubeの動画を観ていても、めちゃくちゃ細かく編集してる。番組として良いものを作りたいという心意気が、最初の時期からずっと伝わってくるんだ。
ハブチン :これは制作している人が聞いたら嬉しいね、伝えるよ!


ここまでお読みいただきありがとうございました!

この記事を書いた人:坂本リサ(Twitter: @Risa_italy )

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