やっぱり人が好き!多様性が輝く場所を作っていきたい | 堀江車輌電装株式会社 堀江泰 × COTEN
法人COTEN CREWになってくださった企業の方々への対談連載。
今回は堀江車輌電装株式会社の代表取締役の堀江泰さんです。
人とのつながりを大事にする4代目は、先代から引き継いだ歴史ある鉄道業界の既存事業を守りながら新規事業にも積極的です。どんな思いをもって事業に取り組んでいるのでしょうか。
対談のお相手は同じく法人COTEN CREWでもあるreborn株式会社のハブチンこと羽渕彰博さん。
法人COTEN CREWのコミュニティは、敬語を使わず「タメ語」で話すのが通例。その空気感をお伝えするため、記事内も「タメ語」のままお送りします。
職人さんと一緒に働くことから始まった
羽渕彰博 (以下、ハブチン):ヤスの会社、堀江車輌電装ってどんな事業をやっているの?
堀江泰 (以下、ヤス) :昭和43年(1968年)にじいちゃんが創業した時からの既存事業としては電車の修繕と改造をやってる。
電気関係のメンテナンスをしたり、新しい無線機を付けたり、車椅子のスペースを作る内装工事などをしているんだ。親父から経営を引き継いで社長になって10年経つよ。俺、2000年に入社して20歳から働いてるんだ。高校は進学校に通っていたけど、部活以外はほとんど行ってなかったよ。
ハブチン:え、どういうこと?
ヤス :サッカーを本当にやりたくて、高一の時から部活だけ行って、授業にはほとんど出ていないんだ。もちろん勉強もやらなきゃいけなかったんだけど。だから家で勉強してテストだけは受けに行ってたよ。髪形とか校則が厳しくてさ、「勉強と髪形は関係なくね?進学校でひげをはやしても金髪でも、いい成績を取っていればよくね?」って思ってた(笑)。納得いく説明をしてくれる先生はいなかったな。そして、サッカー部を引退した後はテレアポのアルバイトを始めた!
ハブチン :めっちゃおもろい生き方やん!
ヤス :何かを学んだり本を読むことはすごい好きだったんだけど受験勉強もしていなかったから、大学受験はしないで高校卒業後は浪人生になったよ。そして予備校に申し込んだんだけど、やっぱりまた通わなくて。パチンコ屋でアルバイトをしてた。結局大学はひとつも受験しなかった。でもさ、周りの友達が就職活動を始めたのを見て焦り始めたんだよね。そろそろ俺も就職して働かないと、まじヤバいなって。
ハブチン:就職して働かなきゃヤバいって思ったんだ。
ヤス:そう。それで親父に頭を下げて堀江車輌電装に入社した。最初は思ってもみなかった電車のメンテナンスの現場に放り込まれて。7年間は作業着を着てヘルメットを被って働いた。汗を流しながら職人さんと一緒に働くのは楽しかったよ。ロジカルな話は一切通用しなくてね、休憩中は酒かパチンコか競馬の話、みたいな。パチンコ屋のアルバイトの経験が職人さんたちとのコミュニケーションにすごい活きたよ(笑)。そんな関わりの中で職人さんのイメージが入社当初とは真逆に変わっていったんだ。
ハブチン:どういうこと?
ヤス :職人さんってさ、めちゃくちゃ仕事ができてかっこいいんだよ!俺は全然できないのに、ぱぱっとやっちゃうしさ、すげーなー、技術ではかなわないなって思ったよ。
ハブチン:職人さんにリスペクトを感じたんだ。
ヤス :そうだね。歴史ある鉄道業界の現場に入ってさ、「仕事は見て覚えろ」みたいなところをまず経験させてもらった。その中で経営の視点を持って、ネジ1個つけたらいくらになるかなとか、生産性上げるにはどうしたらいいかなとか考えながら現場で働くことは、すごく勉強になったし楽しかったよ。経営を引き継いでからは、みんなが働きやすいしくみを俺が作っていこうって思って。既存事業はしっかり守りながら新しい事業をどんどん立ち上げてきたことに、現場の経験もすごい活きてるなって思うよ。
みんな「普通」なのになんで社会で活躍できないんだろう
ハブチン:障がい者支援事業を立ち上げたのは、ヤスのどんな経験から?
ヤス :もともと、日本知的障がい者サッカー連盟でボランティア活動をしていて。手伝っているうちにある疑問が浮かんたんだ。
ハブチン:それは何?
ヤス :みんな普通なのになんで社会で活躍できないんだろうって。知的障がいがあるサッカー選手の子供たちが、自分のイメージと違って普通だったんだよ。苦手なことはあるんだけど一定の周りの配慮があれば強みを活かすことができる。そうしたら誰だって社会で活躍できると思ったんだ。
最初は事業化は考えていなかったんだけど、ボランティアと事業ではできることが全然違うなって。だったらボランティアも継続しながら、事業で何かできないかなって。
ハブチン:誰もが活躍できる場を作りたかったんだ。
ヤス :そうだね。障がい者支援事業では、障がいがある方の就職支援や障がい者雇用を推進している企業のコンサルタント、人材紹介などを支援しているんだ。「ユニバーサル野球」も障がい者支援事業があったからこそ生まれた。
先代たちは職人気質だったから、会社を変えようとは思っていなかったんだよね。今うちの会社で新しいことにチャレンジしたければ社内ベンチャーを立ち上げればいい。「ユニバーサル野球」みたいにね。おもしろかったらうちの会社でやろう!って応援するよ。
ハブチン:社内の新しいチャレンジを応援してるんだ。
ヤス :やめない限り失敗だとは思わない。俺、気が長いんだよね。新規事業は3年くらいで収益が出たらいいと思ってるよ。自分から去っていくことは基本的にはしないから。そこの安心感はみんなに持ってもらっていいなって。
ハブチン:いいね、社内に安心感があるって。
「こうした方がいい!」と直感で思ったことをやってきた
ヤス:もう少し先に踏み出したい人の背中をどんどん押して、道を少し作って照らしてあげたいんだよね。世の中の大きなしくみを変えることは俺にはできないけれど、自分の周りにいる人たちが笑顔になれたり、良い就職先が決まったり、楽しい時間が過ごせたりするきっかけをこれからも作っていきたいと思ってる。
ハブチン:素晴らしい!
ヤス:経営者って孤独って言うじゃない。俺、全然孤独じゃなくて。社員ともこんな感じでしゃべってるし、「飯食いに行こうぜ!」って誘って行っちゃうし、今んところはハブられてないから大丈夫って思ってる(笑)。やっぱり人が好きなんだよね。
ハブチン:いいね、人が好きって!
ヤス :法人COTEN CREWになったのも人とのつながりからだよ。COTENのつよぽん、西谷さんが10年来の友人なんだ。西谷さんがめちゃくちゃおもしろくCOTENC RADIOのことを語ってたんだよね。俺は未来を生きるんだ!って思っていたから、歴史には興味なかったけど、西谷さんが言うならって聞いてみたらやっぱりおもしろかった!
ハブチン:つよぽんがきっかけで法人COTEN CREWになったんだ。
ヤス :人とのつながりを大事に生きてきて、「こうした方がいい!」って思ったことをやってきただけ。やっぱり人が好きだし、人といることが楽しいんだよね。誰かと話しているだけで本当に多様な考え方があるなって分かって、すごいテンションが上がるんだよ。
ハブチン:最高だね。
ヤス :うちの会社に来てもらったら分かるけど、誰が障がいがあるとかないとか分からないよ。それが真の多様性とかダイバーシティだと思う。元ホームレスの方、知的障がいや身体障がい、発達障がいがある方、LGBTQとか、多種多様な人がごっちゃまぜでそれぞれが活躍できる会社っておもろいなと思ってる。
ハブチン:ヤスの会社を、法人COTEN CREWのみんなを誘って見学しに行こう!
ここまでお読みいただきありがとうございました!
この記事を書いた人:坂本リサ(Twitter: @Risa_italy )
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